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血の通った医療を正確に行うための哲学的技法
臨床推論-理論を学べる良書

2015/11/02
田中和豊

 前回は「臨床推論」の必要性を考える契機となる省察症例集の良書を2冊紹介した。今回は「臨床推論」の理論についての良書を紹介する。

 前回、「臨床推論」は日常診療で経験した症例の省察から始まると書いた。つまり、自分が経験した症例を深く省察することから構築されていくのが「臨床推論」ということになる。視点を変えると、「臨床推論」とは日常経験から「帰納」して作り上げられた一種の「哲学」のようなものであるということができる。「哲学」というと難解に聞こえるかもしれないが、すべての「哲学」の根源は日常生活の疑問である。この哲学の登場について語っている哲学者ヘーゲルの言葉があるので紹介する。

  「哲学は常に、世界がどうあるべきかを指示するには遅すぎるときになって
  舞台に登場する。世界の<思惟>としての哲学は、現実が形成の過程を完了
  し、みずみずしさを失ってそこに存在して初めて、姿を現すのだ。哲学が灰
  色に自らの灰色を塗り重ねると、生命の形は歳を重ねる。哲学が灰色に灰色
  を重ねても、若返ることはない。ただ、理解されるだけである。薄暮が訪れ
  はじめて、ミネルヴァのフクロウは翼を広げるのだ」
  ヘーゲル 『法の哲学』1)

 このヘーゲルの『法の哲学』の序文の有名な文章は、「哲学は社会・政治が発展し成熟した後になって初めて誕生するものである」という趣旨に理解されている。しかし、この哲学の社会での誕生を1人の人間に置き換えてみると、「哲学は人間がある程度社会的に発育し成熟してから初めて誕生するものである」と読み替えることができる。

 すなわち、人間社会においては食物を確保して何とかその日暮らしをして生きながらえているような原始社会では哲学など考えつく暇はなく、社会が発展成熟してはじめて「生きるとは何か」などの問いに気付き、それについて考える余裕が生まれるということである。同様に1人の人間の場合は、物心つかない幼少児が哲学など考えるはずがなく、少なくとも思春期以降になってある程度人生経験を積んでから初めて「生きるとは何か」などの哲学的な問いを考え始めるということだ。

著者プロフィール

田中和豊(福岡県済生会福岡総合病院 総合診療部主任部長・臨床教育部部長)●たなか かずとよ氏。慶應大理工学部を卒業後、医師を目指す。94年筑波大医学専門学群卒業。横須賀米海軍病院、聖路加国際病院、アルバートアインシュタイン医科大、ベス・イスラエル病院などを経て、2012年より現職。

連載の紹介

医学書ソムリエ
良い医学書は良い海図のように、臨床の大海原の航海を確実に楽にしてくれるもの。しかし、数多く出版される医学書のどれを読んだらよいのでしょうか。本連載では、筆者の田中和豊氏が、忙しいあなたの代わりに様々な医学書に目を通し、「これは良い」と思ったものだけを紹介します。

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