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「医学教育」再考論(後編)
下手な講義が「使える医師」を生む

2011/09/29
小鷹昌明

 我が身を振り返り、今になって思うのは、持てる能力を駆使して医療という現場を生き延びてこられたことに大きな自信と誇りを持てているということだ。しかし、厳しい状況での経験が、自信過剰で鼻持ちならない高慢な医師、あるいは逆に虚無的で無機質な医師を生む可能性も、同時に自覚している。

 20代の私は、自己欺瞞と傲岸不遜とで自分が何者かも判らず、ましてや他人も、そして世の中も判らなかった。他人を振り回し、他人に振り回されていた。30代になっても落ち着くことはなく、精神はますます偏狭に、態度はますます狷介となった。思慮が足りず、早合点しがちで、行動がときに上滑りし、ちょっとしたことで自己嫌悪し、短気で気難しく、過信と煩慮とで迷走していた。

 英国に留学し、35歳を過ぎた頃から少しずつ世間を知り、40歳を超えたあたりで、ようやく深遠でも高慢でもなく、ごく日常的な次元で物事を客観的に捉えられるようになってきた。個別的、具体的なことよりも、普遍的、抽象的なことに関心が向くようになった。移り変わる物事を追いかけるよりも、変わらない事柄を考えている時間の方が長くなり、自分が何者で、何ができ、何ができないかが、ようやく理解できるようになった。

 何かを学ぶということは、「こうすることが正しいという確証はなくても、こうした方が良いようだ」という感覚を身に付け、その過程のフィードバックによって自己を形成していくことなのだと気が付いた。

 そして、あえて言うなら、「一所懸命に勉強していれば、いつかきっと実践の役に立つであろう」という、確信的な未来予想を動機付けにするのではなく、「役に立つか分からないような勉強を悠長にやっていられるのは、今だけかもしれない」という不安定な未来予想を動機付けに学習を促す方が、教える自分も愉しいと考えるようになった。

優秀な「講師」が手本ではない
 国家試験に合格し、一定の水準をクリアした学生が医師免許を取得できるというシステムに異論はない。しかし、逆を言えば、そこに達しさえすれば、かける労力は最低限でよしとする者も現れる。

 だから、医学生を勉強意欲に駆り立てる方法は簡単である。「医師数の調整のために、毎年国家試験の上位何千人(たとえば7000番まで)しか医師にしません」と言えば、学生は血相を変えて勉強するであろう。

 もちろん、この国ではそんなことをしなくとも、そこそこまともな医師が創られている。それは、曲がりなりにも世界最高水準の医療を実践できているこの国の医学教育が成功していることの証左でもある。日本の大学医学部の教育は実に徹底しており、規格化されたスキルを持つ人間をこれほど効率的に生み出すことに成功している教育システムは、世界でも類を見ないのではないだろうか。

著者プロフィール

小鷹昌明(南相馬市立総合病院神経内科)●おだかまさあき氏。1993年卒後、某大学神経内科に所属し、病棟医長、医局長、准教授を歴任。一念発起して2012年4月から現職。「今、医療者は何を考え、どうすべきか」をテーマに、現場から情報発信を続ける。

連載の紹介

小鷹昌明の「医師人生・四“反省”期」
医学部入学から四半世紀になろうとしている小鷹氏。自分の医師人生を四“反省”期として振り返ります。医療・医学、社会問題・社会現象、人間関係・生き方、自らのこだわりといった4つのテーマについて、様々な角度から語ります。

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