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パンデミックに挑む

【寄稿】
催涙弾、デモ隊、隠匿・・・、エボラ出血熱をめぐるシエラレオネの混沌

2014/07/04
勝田吉彰=関西福祉大学

 催涙弾や訴追や逃走。いま日経メディカルのサイトをクリックした読者のみなさんは、こんな単語を当サイトで目にするとは、まさか思ってはおられなかっただろう。いま、西アフリカのシエラレオネでエボラ出血熱をめぐって起こっている出来事なのだ。

 今回のエボラ出血熱流行は、スーダンやガボンやコンゴにおける過去の流行が短期間で抑制されたのとは様相を異にして、終息する兆しが見えない。初発国のギニアから国境を越えてシエラレオネ・リベリアに拡大し、WHOはさらに別の隣接国に拡大する可能性を示唆している。現地政府と協調し対策の中心的な役割を担ってきた国境なき医師団も「能力の限界に近づいてきた」と声明を出している1)

 こういう事態を招いている大きな要因は「文化の違い」と「人口密集地での発生」だ。本稿では前者を中心に解説しよう。

 通常、わが国を含めた先進国、新興国、そして多くの発展途上国においても、「病気になったら医療従事者に相談しよう」「医療従事者の言うことは、とりあえず本当のことだと思おう」と考えるのが普通であろう。しかしながら、いまエボラ出血熱でホットなシエラレオネではこれが全く成立しないのだ。「エボラ出血熱は悪魔の呪いだ/呪いの銃で撃たれたのだ」「エボラ出血熱は、白人が実験のために持ち込んだ病原体で、アフリカ人を殺そうとしているのだ」2)という観念が広範に認められ、「医療側が投与している薬が、実はウイルスを発生させているのだ」という流言があふれ3)、医療従事者が敵意に満ちた眼にさらされてしまうのだ。

 結果、多くの国の常識が通用しない社会的現象がさまざまに発生する。エボラ出血熱の症状が発生しても受診しないばかりか、自宅にかくまうという挙に出る。病院に隔離されても、無理矢理“自主退院”してしまう。隔離施設の周囲をデモ隊が取り巻き感染者の“釈放”を暴力的に要求するので、当局はデモ隊に催涙弾を打ち込んで応戦する事態に発展している3)。挙句の果てに当局は、病院の“自主退院”や“感染者の隠匿”に対して訴追して重罪を課すと宣言するに至っている4)(国会審議も経ないで、そんなことをいきなり宣言できるのもスゴイが・・・)。

 こんな中で比較的信頼されている存在が伝統的治療師だ。アフリカ大陸では彼らはプライマリケア的な役割を担い、村人の悩みを聞き、薬草を煎じて出し、祈祷儀式を執り行う。筆者は前職外務省時代、セネガルで偶々ある伝統的治療師と知り合う機会があって治療儀式に招かれたことがある5)6)。首都を離れた漁村で、神のお告げを聞き、精霊に犠牲(牛やヤギ)を捧げるという一部始終を現場に入り込んで観察する機会に恵まれた。そこでは村人たちが治療師や患者を暖かく迎え、信頼感に満ちた空気が流れていた。突然目の前に現れた見知らぬ医療者より信頼されるだろうという実感はある。セネガルでは(その前に在勤していたスーダンでも)近代医療が伝統的治療師の側に歩み寄り協調し、教育を提供し基本的な医薬品を供給するということが行われていた。治療師の薬草の煎じ薬とともに、基本的な向精神薬を一緒に投与してもらい、絶対的医師不足の対策のひとつともなっていた。

 しかし、今回のエボラ出血熱流行ではそのような協調しているような感覚がまったく見当たらない。シエラレオネに拡大したのは、同国の治療師がギニアに行き、感染者の遺体を触って(おそらく儀式)、シエラレオネに戻って感染を拡げてしまったとの見方もある。かつてない混沌に入ってしまった今回のエボラ出血熱流行、伝統的要素もうまく取り入れながら克服し、将来に向けたノウハウを蓄積してもらいたいものだ。

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