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第29回 日本医学会総会2015関西

【柱16】死生学(終末医療、臓器移植、緩和医療)
超高齢社会における終末期医療を考える
京都府立医科大学消化器外科教授・大辻英吾氏に聞く

2014/11/10

―― 医学会総会の柱の一つに「死生学」があるのはやはり驚きです。

 死生学は人類始まって以来のテーマで、医学をはじめ哲学、心理学、民俗学、宗教学など幅広い学際的議論が求められます。今回の総会は分野横断的議論をするということが特色ですが、まさに死生学こそふさわしい議題ではないでしょうか。

 背景にあるのはやはり高齢社会の到来です。これからは終末期医療や、臓器移植と脳死の関係、がん患者の緩和医療などが、外すことのできないテーマになります。

 また、現代社会では「生きていること」が当たり前で、死は非日常でありタブー視されがちです。核家族化が進行し、身内の死を目にする機会も減りました。けれども死は必ず訪れるもので、誰にとってもその心構えは必要なことなのです。

―― 死について考えることは、医療の本質を問い直すことになりませんか。

 私が医者になったころは、医者の使命は患者さんを1分1秒でも長生きさせることだと教えられました。けれども、いまや医療技術が発達して、ただ生かすだけならかなりのことができるようになっています。そこで医師が考えるべきは患者さんのQOLであり、人としての尊厳でしょう。死を考えることは、裏返せば最期の生き方を考えることで、残された時間を満足して生きてもらうことを医師も共に考えねばなりません。

―― 医療技術の進歩で寿命はどんどん延びていますが。

 寿命が後ろに延びているのも事実ですが、一方ではエンディングノートを作るなどして、より早くから自分の死について考える人が増えたという印象も受けます。たとえば臓器移植を受けて助かる選択はもちろんありますが、移植は受けないと意思表示して自らの寿命を全うするという選択肢もあるはずです。医療技術が進歩することによって、逆説的ですが、自分の死に方を選べるようになったのだと思います。

―― 高齢社会における終末期医療は複合的な問題が絡み合ってきますね。

 まず、医療技術と医療経済の問題があります。技術はどこまででも進歩する一方、財政には限りがあります。経済性だけを追求するなら、無駄なことはやらないほうがいいという考えもあるかもしれません。しかし、無駄かどうかは誰が判断するのでしょう。医師はもちろん、家族でさえも容易には決められません。今回の総会ではこうした医療経済的側面をはじめ、生命倫理的側面、社会的側面からも議論したいと思います。

―― 脳死と臓器移植の問題も難しいテーマです。

 平成21年に最終改正された、いわゆる「臓器移植法案」で脳死による臓器移植が認められるようになりました。とはいえ、欧米に比べて日本ではまだ脳死移植が大きく立ち遅れています。総会では脳死移植の現状、課題、展望について、厚生労働省、マスメディア、そして可能であれば脳死移植を受けた患者さんにも議論に参加していただきたいと考えています。

―― がんの診断と緩和医療も差し迫った課題ですね。

 日本ではいま、3分の1の人ががんで亡くなります。がんは痛みを伴いますから、疼痛緩和は必要です。ただし、緩和医療とは、単なる疼痛緩和だけをいうのではありません。緩和医療とは家族のケアまでを含む幅広い概念です。さらには疼痛が出る前でも、たとえば患者さん本人は仕事を失うなど、つらい状況に置かれることがあります。痛みだけではなく、こうした「辛さ」も含めて緩和ケアの理解と実践について第一人者の先生方のお話を伺いたいと思います。

―― まさに医療の領域を越えた幅広い議論になりそうですね。

 最後の時間をどう生きるかは医療者である以前に、人として考ええるべき大切な課題です。特に日頃はご自分の死など考える機会も少ない若い先生方にはぜひ議論に参加していただきたいと思います。死生学は学問であり、教育的カリキュラムでもあります。今回の総会でこのテーマを取り上げることで、社会が「死」と真剣に向き合うきっかけとなることを願っています。

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