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私以外私じゃないの

2019/09/13
テクノ アサヤマ(緩和ケア医)

 そもそも私が僻地医療に赴いたのは、「地域に在宅ホスピスを作りたい」という目標があったからだ。日々、慢性期外来や肺炎の診療などを忙しく行っているが、その一方でがん末期患者の紹介も少なくはない人数を受けて、在宅緩和ケア・看取りを行っている。

 自分が死に瀕した時、大切な家族に死が近づいてくる時に苦悩するのは古今東西誰でも同じだ。苦しみながらも、どこでどうやって生きるのか、そしてどのように死ぬのかを決めなければいけない。そんな彼らの話を聞いて、ともに支えていくのは我々の大切な仕事だ。今日までに至る道のりを聞いて、今どのような気持ちでいるか知ることは、彼らを支えていく上で不可欠のプロセスである。

 ところで話を聞いていく時に我々は、相手に「聞いてくれているな」と感じさせて安心感を持ってもらう為の小技を駆使している。まずは相手の話を遮らずに聞き、間が生まれたら数秒待ちつつ、相手の話を自分の頭の中で構築し「あなたは○○と思って、○○と感じているのですね」と、自分の言葉にして相手に返すのが話を聞いていく定石だ。ときには、「○○なとき、どういう風にお思いになったのですか」「なぜ、○○と思われたのでしょうね」と問いかけたりもする。相手の話を聞くプロセスはとても大切だ。より良いケアをしていくためには安心感のあるコミュニケーションで信頼関係を築くことと、相手の背景や考え、大切に思っていることを引き出していくことが必要である。

 患者さんは多種多様で十人十色だ。ホスピスで働いていた頃も、このような生き方があるのか、と驚く事も多々あった。しかしやはり所変われば品変わるとはよく言ったもので、僻地では驚きの方向もレベルもこれまでには体験したことがないようなものだ。

 ある日、九十歳代後半の方が末期心不全のケアのため紹介された。これまでに胃がんの手術、脳梗塞、そして繰り返す誤嚥性肺炎と幾多の命の危機を乗り越えられてきた方だ。患者さんの娘は今日の私との面談を通して、母親が今後体調を崩したときには延命措置をしない、という判断をした。彼女は手元の書類に書かれた「心臓マッサージ 希望しない」「人工呼吸 希望しない」にマルをつけて自分のサインを書き、ボールペンを置いた。紙を私に渡して、口を開いた。

「八十を越えてがんの手術をした時から、死ぬかもしれないと覚悟してました。あれから十年以上、本当によくここまで来れたと思います」

 私は彼女の顔を見、黙ってうなずいた。

「脳梗塞の時、いよいよだめかと思いました。でも麻痺は残ったけどやっぱり頑張りました。生命力がとても強いんですね。ほかの親戚とも、ばあちゃんすごいねって言ってました」

「ええ、ここまで頑張られて、本当にお強いです」

 病状が悪化するまでの経緯と、そのことについて家族がどう思っているかを確認することは今後の方針を立てていくにあたってとても大切な情報だ。私は、彼女の言葉を聞きもらすまいと神経を集中させた。

「でもやっぱり弱ってきましたね。肺炎で入院するたびに痩せちゃって。前回の入院の時に拝み屋さんに来てもらったら、もう難しいだろうって言われて、あぁもうそういう時なんだよねって家族で話してたんです」

 明らかに聞きなれない単語が混じった。スルーしきれず、相づち代わりに繰り返してみる。

「拝み屋さん」

「はい、いつも入院すると来てもらってるんですけど。拝み屋さんからもちょうどそう聞いてたので、先生のおっしゃる事、とてもよく分かりました」

 その後は何を話したかあまり覚えていない。彼女は、母をよろしくお願いしますとていねいに頭を下げて診察室を出ていった。外来が終わった後、たまらず地元出身の看護師たちに質問した。拝み屋さんとはどのようなものなのか?拝み屋さんを利用することはこの地域ではメジャーなのか?彼女達はさほど驚いた様子もなく答えてくれた。

「あ〜、拝み屋さんね。○○寺のことでしょ?」
「何かあると拝み屋さんに頼みに行く人がいるってよく聞きますよ」
「『医者の言うことを聞いてれば大丈夫』とか言ってくれるらしいですね」

著者プロフィール

緩和ケア医。「生と死を見つめる」をライフワークに、僻地に緩和ケアを導入するためIターン。音楽と読書が欠かせない生活。愛車はワーゲン。ペンネームの由来は、Daft Punkの名曲「TECHNOLOGIC」。Twitterは@technoasym

連載の紹介

テクノ アサヤマの「今日がいちばんいい日」
緩和ケア医・テクノアサヤマが僻地にやってきた!僻地医療、それは日本の中の異文化交流。違う人間である「わたし」と「あなた」はどうやって生きていけばいい?悩めるあなたとわたしのストーリー。

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