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ウクライナ戦争など、死体の写真・動画のネット掲載に思う

2022/05/02
谷口 恭(太融寺町谷口医院)

 2004年8月、その“国際会議”は、新聞の一面に掲載された若い女性の死体の写真から始まった。

 当時、僕はタイのあるエイズ施設でボランティア医師として働いていた。その施設には欧米からやって来ていた数名の医療者(医師は全員GP[総合診療医]、他に看護師、介護師など)がいて、僕は日々、彼(女)らからエイズの治療のみならず、GPとしての診療について学んでいた。

 ある日のこと、月に一度バンコクからやってくるタイ人の感染症専門医がいる日に、その場にいた何人かでランチに出掛けることになった。ふだんは、その施設内で患者と同じものをいただいていたのだが、たまにはちょっと高級なところにいってゆっくりと話をしようということになったのだ。

 メンバーは、そのタイ人の感染症専門医の他、米国人の総合診療医、オランダ人の看護師、ベルギー人の介護士、スウエーデン人の主婦(1人で2カ月間のボランティアに来ていた)、そして僕だ。

 仕事中は目の前に多くの重症患者がいるために(当時のタイでは抗HIV薬はさほど普及しておらず、ほとんどの患者にとってHIV感染は死へのモラトリアムを意味した)、患者に関して話さなければならないことがいくらでもあるわけだが、はたしてこのメンバーとランチをともにして会話が弾むだろうか。

 メンバーの中で英語が最も苦手なのは間違いなく僕だ。だが、外国人を前にしても、「日本男児たるもの男は黙って……」というわけにはいかない。この”国際会議”では、僕が日本代表なのだ。パーティーで欧州人と気の利いた会話をするには芸術と歴史の話がいいとかなんとか、昔誰かが言っていたような気がするが、僕にはそんな会話、日本語でさえもできない。

 ウエーターが注文を取りに来たとき、ふと横のテーブルにタイの大衆紙が置いてあることに気付いた。一面に若い女性の死体がデカデカと載せられ、その横に加害者と思わしき男性の写真が掲載されていた。

 これは使える!と直感した。この事件、間違いなく痴情のもつれからくる殺人事件だ。僕の分析では、タイの大衆紙は日本のスポーツ新聞と同じような位置付けで、特徴的な点が2つある。1つは、やたらと恋愛がらみの事件が多いことだ。「浮気され嫉妬に狂った女性が男性のペニスを切断……」といった事件などで、無理心中の話も少なくない。そして、タイの大衆紙のもう1つの特徴は、死体の写真をそのまま掲載することだ。

 医療者が集まった“国際会議”の場で、痴情のもつれを取り上げるのは品がない。ここは「死体の写真を報道することの是非」を話題にすべきと僕は考えた。ランチをともにするのが医療者でなければ、この話題も避けるべきだろうが、このメンバーなら問題ないだろう。なにしろ我々はエイズホスピスで毎日のように新しい死体を見ているのだ。

 「食事の際にする話ではないかもしれないけれど」という前置きを入れ、「タイでは死体がそのまま報道されていることに驚きました。日本ではこのような報道は禁止されているんです」という言葉で僕は口火を切った。

 この作戦は大成功だった。その後、話題は各国の死生観、死後の世界、輪廻転生(多くのタイ人は信じている)、さらに自殺にまで及んだ。芸術や歴史の話となると日本語ですらおぼつかない僕でも、こういう話ならある程度はついていける。

 全員が食事を終え、食後のコーヒーを飲んでいるとき、タイ人の医師がふと僕に疑問を投げかけた。「日本人の自殺が多いことと、日本では死体を報道できないことには関連があるのでは?」というのが彼の問題提起だった……。

著者プロフィール

たにぐち やすし氏●1991年関西学院大学社会学部卒。商社勤務を経て、2002年大阪市立大学医学部卒。研修医終了後、タイのエイズ施設でのボランティアを経て大阪市立大学医学部総合診療センター所属となり、現在も同大非常勤講師。2007年に大阪・梅田に開業。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。

連載の紹介

谷口恭の「梅田のGPがどうしても伝えたいこと」
患者さんに最も近い立場で医療を行いたい……。それを実現するため医師6年目に資金300万円で開業した谷口氏。「どのような人でも、どのような症状でも受け入れる」をポリシーに過去11年で3万人以上の初診患者を診察した経験を基に、開業医のやりがいや苦労、開業医に求められるミッションを若手医師向けに語ります。

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