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「患者のため」をやめようではないか

2019/08/30
谷口 恭(太融寺町谷口医院)

 私(俺)と仕事、どっちが大事なの?

 このセリフが「100年の恋も興ざめにするパートナーへのNGセンテンス」というのは、多くの人が同意してくれるに違いない。では「患者のため」というセンテンスはどうだろうか。

 例えば、「重症患者が救急搬送されてきたため、先月から約束していた夏祭りに行けなくなった」場合、約束の相手がいくら寂しがったり、ごねたりしたとしても「患者のため」という言葉の手前、最終的には黙るしかない。水戸黄門の印籠のようなものだ。冒頭で述べた「どっちが大事?」よりも、「患者のため」の方がずっとNGワードではないか、と僕は思っている。

 医療者の恋愛話をしたいわけではない。我々医療者は無意識に至るところで「患者のため」という言葉を使っていないか、そして無意識だからこそたちが悪いのではないか、というのが今回の主題である。

 前回、過重労働から自らの命を絶った産婦人科医の部長について取り上げた。医師不足は明らかなのに医師増員に反対する医師が多い。これは医師が収入減を恐れているからなのではないか、さらに既得権にしがみつこうとしていないか、ということを指摘し、我々の収入を減らしてでも勤務時間を少なくし仲間の過労を防ぐべきだという私見を述べた。そして今回言いたいのが、「患者のため」という考え方を見直すことで過重労働を改善できないかということだ。

 とはいえ、我々医療者は患者のために存在する職業人であるのは自明である。そして、患者のためにできる限りのことをしよう、と心の底から思い、同じように考えている他の医療者たちと共感できたときに感動を覚えるのもまた事実である。以前、太融寺町谷口医院のスタッフ全員参加のカンファレンスで、医療不信がありながらも通院を続けるようになった患者を取り上げたことがあり、そのとき「何があっても我々医療者は患者のために存在していることを理解してもらえるように努めよう」という話をした。すると随分たってから「あのときの先生の言葉に感銘を受けて私もがんばろうって思ったんです」と言ってくれたスタッフがいた。

 治療は必ずしもうまくいくとは限らないし、うまくいったとしてもそもそも患者から感謝の言葉を期待してはいけない(これについては過去のコラム「医師は感謝を期待してはいけない」で述べた)のだが、それでも、初診時に陰性感情が生じた患者(つまり「招かれざる患者」)が、通い続けるうちに心を開き笑顔になり、感謝の言葉を伝えてくれるのはやはり嬉しいものだ。

 改めて考えてみると、我々医療者は「患者のため」という言葉で自らを鼓舞し、この言葉で仲間と協調できることを確認し感動を覚え、辛いことには目をつぶって心から追い出し、さらにプライベートを犠牲にしているのである。「患者のため」というこの言葉は一種の“麻薬”のようだ、というのは言い過ぎだろうか。

著者プロフィール

たにぐち やすし氏●1991年関西学院大学社会学部卒。商社勤務を経て、2002年大阪市立大学医学部卒。研修医終了後、タイのエイズ施設でのボランティアを経て大阪市立大学医学部総合診療センター所属となり、現在も同大非常勤講師。2007年に大阪・梅田に開業。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。

連載の紹介

谷口恭の「梅田のGPがどうしても伝えたいこと」
患者さんに最も近い立場で医療を行いたい……。それを実現するため医師6年目に資金300万円で開業した谷口氏。「どのような人でも、どのような症状でも受け入れる」をポリシーに過去11年で3万人以上の初診患者を診察した経験を基に、開業医のやりがいや苦労、開業医に求められるミッションを若手医師向けに語ります。

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