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花火を観ながら「みんなで支える医療」を考えた

2019/09/11
森井大一

 筆者が外国の大学院に行って初めて知ったことの一つにpublic goodというのがある。この場合のgoodは“良い”ということではない。goods and serviceのgood。つまり財である。したがって、public goodは公共財と訳すのが決まりらしい。

 公共財は二つの特徴から定義される。つまり非競合性と非排除性である。

 非競合性とは、ある財の消費を私がしたとしても、そのことでその財についてのあなたの消費が妨げられない、という意味だ。例えばきれいな空気。サツキが七国山の木陰で澄んだ空気を目いっぱい呼吸しても、隣にいるメイの吸い込む酸素が薄くなったりはしない。

 非排除性とは、ある特定の人がその財を消費することを妨げることについて、ものすごく費用がかかるか又は実質的に不可能なことをいう。例えば隣り合う2都市があって、大気汚染の対策として一方の都市は厳格な排ガス規制を敷き、他方はそのような規制を取らなかったとする。2つの町の空気を完全に分けるためには、天まで続く巨大な防御壁で町を覆いつくし、尚且つ住人の通行をシャットアウトしなければならない。これはあまりに費用がかかりすぎるし、実際には不可能だ。清浄な空気を維持しようする一方の努力が一定の効果をもたらすとしても、その恩恵は隣町の住人もだいたい同じように享受することになる。

 ある財が非競合性と非排除性を併せ持つということは、人々がその財をお互いに争わずに好きなだけ消費でき、しかも財の対価を支払わなくてもその地位は変わらない、ということを示している。両方の性質を備えた財が公共財である(実際には完璧にこの2条件を揃えたものは珍しい。完璧に揃えたものは、特別に純粋公共財と言ったりもするらしい)。

 問題は、市場だけに任せておくと公共財(あるいはそれに類するもの)はしばしば十分に供給されないということだ。私がせっせと汗をかいて財を生産する一方でなんの努力もせずに寝ていたあなたも又その恩恵を受け取るのであれば、自分の労働は「自分だけが受け取れるもの」を生産することに費やしたいと考えるのが人の性(さが)というものだ。

 しかし、そうやって人々が「自分だけしか受け取れないもの」の生産にしか興味を持たなくなったら、社会全体として損をすることになる。皆が使うであろう道路を建設するのも、大雨が降っても川が氾濫したり土砂崩れが起きたりしないよう治山や治水を行うのも、いずれも欠くことのできない大事な仕事だ。舗装された道路の自由な通行がもたらす経済的・文化的発展は誰か特定の人だけを潤すものではないだろう。災害に対する安全の確保は、一定の地域を単位としてそこに住む人々全体に安心をもたらす。これらは公共財の実例である。したがって、公共財であるということは、公的資金でそれを支えるに値するということとしばしば同義に語られる。

著者プロフィール

森井大一(もりい・だいいち)●大阪大学大学院医学系研究科博士課程。2005年3月大阪大学医学部卒業、同年4月国立病院機構呉医療センター、2010年大阪大学医学部附属病院感染制御部、2011年米Emory大学Rollins School of Public Health、2013年7月厚生労働省大臣官房国際課課長補佐、2014年4月厚生労働省医政局指導課・地域医療計画課課長補佐、2015年4月公立昭和病院感染症科を経て今に至る。2018年から阪大病院の感染制御部医員も兼務。

連載の紹介

森井大一の「医療と経済と行政の交差点」
救急医として医師のキャリアをスタートさせた後、感染制御に越境し、公衆衛生を学んだ上で、厚生官僚を経験。現在はノーベル賞受賞で話題の行動経済学を医療に応用すべく研究を進める筆者に、 医療と経済と行政が交わる地点に立って思いの丈を語っていただきます。

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