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高齢者転倒骨折事件
準備不足のまま提訴した患者、勝算はどこに?

2014/11/28
峰村健司

 前回は、民事訴訟の進め方を大雑把にまとめました。復習しますと、1)原告、被告が各自の主張を出し合い、主張が一致する点と、主張が異なる点(争点)を明らかにし、2)各自が主張を裏付けるための証拠を提出し、3)それらの主張、証拠を基に、どちらの主張がより事実らしいかを裁判官が判断し、4)裁判官が認定した事実を法律に照らしたときに、被告に対する原告の請求が認められるべきか否かを判決する――というものでした。

 今回は、この仕組みの土台となっているルールである「弁論主義」をご紹介するとともに、弁論主義のあり方を考えさせられる1つの判例を取り上げます。

 弁論主義とはざっくり言うと、裁判における当事者各自の主張と、その主張を裏付ける証拠の収集および提出は、原告、被告といった当事者が行うものであって、裁判所が議論の方向を勝手に決めたり、また証拠を独自に集めてはいけないという決まりです。これは3つのテーゼにまとめて考えられています。

第1テーゼ「裁判所は、当事者が主張していない事実を、判断の基礎としてはいけない」
第2テーゼ「裁判所は、当事者間に争いがない事実は、そのまま判断の基礎としなければならない」
第3テーゼ「裁判所は、当事者の申し出た証拠のみによって、事実の認定をしなければならない」

 要するに裁判所は、昔の「遠山の金さん」よろしく、自ら事件を調査し証拠を探し出して裁くようなことはしてはいけないということです。

 そうすると、まずは原告側がそれなりの主張と証拠をそろえなければ、裁判に勝つことはできないことになります。一方被告側は、原告側から有力な主張と証拠が出てきた場合、放っておくと負けてしまうことになります。裁判官は双方から出てきた主張、証拠だけに基づいて検討するのであって、自ら真相を調べることはないからです(この点、前回ご紹介したテオフィリン中毒事件のように、医療側から見てどんなにばかばかしい主張をされたとしても、きちんと反論しなければならないということにつながるわけです)。

 そうすると、原告側が裁判を始めるに当たって重要なのは、相応の主張と証拠をそろえることができるという見込みを持って、裁判に臨めるかということだと思われます。我々の世界で言えば、医師が手術、処置を始めるに当たって、所見、検査データなどを基に、それなりの勝算を見込んで開始することが当然であるのと同様にです。

 しかし、世の中には不思議な裁判があるもので、そのあたりの前準備を怠ったのではないかと思われるような例があるのです。そのように感じられた事例を今回はご紹介します。

著者プロフィール

峰村健司(順天堂大学大学院医学研究科博士課程、こはら眼科)●みねむら けんじ氏。1967年生まれ。東京大学理学部を卒業後、旅行会社勤務を経て、東大医学部に再入学。関東中央病院眼科部長などを歴任。診療や研究の傍ら、医療訴訟の傍聴・記録閲覧に出向き、判決が真っ当か「トンデモ」かの検証を続けている。

連載の紹介

その判決、正当?不当? 医療裁判深層リポート
メディアで報じられる医療訴訟の判決内容に対し、医療者側から批判的な声が寄せられることは少なくありません。眼科診療の傍ら医療訴訟の傍聴を重ね、裁判記録に丹念に目を通してきた「医療訴訟ウオッチャー」が、「どうしてそんな判決が?」という現場の疑問に明快に答えます。

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