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救急過疎地の「救世主」、果たしてその実態は?

2014/02/25
木川英

毎日16時から翌朝まで運営する破天荒なクリニック

 「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われた埼玉県川越市に2010年7月、全国初となる救急科に特化した診療所として開業した「川越救急クリニック」に勤務しております木川英(きがわ あきら)と申します。

 川越救急クリニック(以下「救クリ」と略)は、院長と私、3人の看護師と2人の事務員、数人のパート職員で毎日16時から翌朝まで運営している破天荒なクリニックです。

 テレビ、新聞、雑誌などのマスコミ関係者のウケは良く、メディアで度々紹介されることで一般の方々には認知され始めて賞賛されてはいますが、医療界では何のインパクトも示せていません。それどころか、異端児扱い、煙たがられている存在に甘んじている状況です。

 このたび、権威ある日経メディカルに声を掛けていただき、この状況を打破すべく、救クリの取り組みを書くことを通じて医療界に切り込んでいく所存でブログを始めさせていただくことになりました(さらに批判の対象となるかもしれませんが・・・)。

  医師臨床研修制度が開始されて間もない2005年、東海大学医学部を卒業しました。在学中は、これから訪れる超高齢社会、入院医療費の削減、療養型病床の減少を予測して、世間に溢れる介護難民の手助けができる在宅医療に魅力を感じていました。

 しかし、在宅で診ている患者が急変した時に、「これは最期だから、このまま看取ろう」とか「これは救命救急センターに搬送すれば助かってまた在宅に復帰できる」という判断ができなければ、在宅医療はできないと考え、若い頃は救急医療に携わろうとの思いで、地元湘南の茅ケ崎徳洲会総合病院(現:湘南藤沢徳洲会病院)に初期研修医として入職しました。

 徳洲会での研修は、過酷そのものでしたが、ここで過ごした日々が医師である自分の基礎を形成してくれたことは間違いありません。ただ、月に10回以上の当直、40~50人/日の入院患者を担当するのはもう無理です(苦笑)。

 2008年、 東北の地で救急医療に革命を起こそうとしていた今明秀先生が率いる、青森県の八戸市立市民病院救命救急センターに異動しました。「劇的救命」「ニューブランド八戸」を合言葉に救命医が集結し、年々事業を拡大していきました。ドクターヘリ、ドクターカーを導入し、医師不足にあえぐ青森県において救急医が溢れるという日本屈指の救命救急センターに成長しました。そのような歴史の過渡期にこの地で過ごせたことは幸せでした。そして革命的な出来事が起きる日々は本当にエキサイティングでした。

 そのような日々の中で、救急医療における自分の立ち位置を踏まえ、一端の救急医として自分も何か革命に加担できる部分があるのではないか、と考えるようになりました。2010年10月に出た日経メディカルの記事(REPORT◎救急専門の診療所を開業 元大学麻酔医、2次救急の新しい形態を追求)で救クリの存在を知り、2011年9月に見学に行ったところ、上原淳院長にその場で診療を手伝ってくれと請われ、実際に診療する羽目になりました(笑)。

著者プロフィール

木川英(川越救急クリニック副院長)●きがわ あきら氏。2005年東海大学医学部卒。茅ケ崎徳洲会総合病院(現:湘南藤沢徳洲会病院)初期研修医を経て、08年救急医を志し八戸市立市民病院救命救急センターに勤務。13年から現職。

連載の紹介

木川英の「救急クリニック24時」
全国有数の”救急過疎地”サイタマに開業した救急専門の診療所に助っ人としてやって来た木川氏が、現場で感じた地域医療の問題、患者側の問題、医療経営の問題等々を綴ることで医療界に一石を投じる。

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