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履かずの靴下(前編)
こんにゃくより怖い、パンと鶏肉

2015/07/13
東徹

 このコラムは第1回でも書きましたが、精神科単科病院で亡くなった方のお話を書いていくというのがコンセプトです。ですが実は、連載開始前に編集担当者から「亡くなった話でもいいけど、助かったとかうまくいった話の方が需要あるのでは?」というご指摘をいただきまして、そうかもなぁとも思っていました。しかし、やはり一番伝えたいのは「精神科単科病院で亡くなる人というのはどのような人生を送った人なのか」ということだったので、結局このコンセプトを採用していただいたという経緯があったのです。まあ読んでる方にはこんな裏話は「知らんがな」でしょうけれど。

 そういう経緯を踏まえまして、今回は少し趣向を変えて、助かった話をします。ちょっと休憩、箸休め的に読んでいただけたらと思います。

 なにせ助かった話ですので、まだご存命です。そういうわけで、今回はいつも以上にプライバシーに配慮して、個人情報を極力省きます。どうせ、そこは主題ではないのです。しかし、便宜上仮名は必要ですので、伊藤さんとします。70歳代男性です。私は主治医ではありませんでした。

当直で「引く人」「引かない人」
 ある冬の日、僕は当直をしていました。特に入院も急変も大きな事件もなく穏やかな夜、すやすやと寝ていました。当院の当直は本当に当たり外れが大きくて、一睡もできずに、そのまま次の日もフルで働かないといけなくなることもありますが、何事もなければゆっくり寝られる日もあります。

 医師、看護師などを含む当直業界では、人によって「引く人」「引かない人」という言い方がよくされているのではないかと思います。ざっくり言えば、当直が忙しくなる人が「引く人」ですね。何を引くのかは明らかにされていません。明らかにしないのが良いんですよね。◯乏クジとか言うと、露骨というかちょっと患者さんに失礼だし、具体的に特定するより、いろんな含みを込めて「引く」、というのがかえって実態を表している気もします。

 さて僕はというと、どちらでもありません。引くときは引くし、引かないときは引かない。当たり前ですね。いや、それでも波というものがあります。確率には偏りがありますよね。偶然に寄りますから、必ずしも均等に仕事が舞い込むわけではありません。どうやっても、引かない日、引く日は偏ります。すると、「引かない日」の波の時期はだんだん油断してくるんですね。平穏な当直が続くと、今日も大丈夫だろうという根拠のない気の緩みが出てきます。しかし、当然いつかは「引く日」の波に変わるわけで、結果的にはその日がそうでした。

著者プロフィール

東徹(いわくら病院[精神科単科病院])●ひがしとおる氏。2006年京都大学医学部卒。高知医療センターでの初期研修を経て、京都大学医学部付属病院、大阪赤十字病院精神神経科に勤務。2012年より現職。

連載の紹介

その死に誰が寄り添うか-精神科単科病院にて
精神科単科病院の「身体合併症病棟」。ここがどのような場所で、どのような人がどう生き、そして死んでいくのか。知られざる実態を、長期入院の末に亡くなった方々の実例を元に、一部改変してご紹介します。
『精神科病院で人生を終えるということ − その死に誰が寄り添うか』好評発売中

 精神科単科病院で身体合併症病棟を担当する著者が精神医療の現状を生々しくつづっていいます。胃瘻造設や延命治療の是非、誤嚥性肺炎への対応、患者家族への説明の難しさなど終末期医療における課題を挙げ、相模原障害者施設殺傷事件に対する私見も示しています。
 精神医療に限らず、高齢者の終末期医療に対する現場の肉声ともいえる内容です。高齢者医療に携わる全ての医療者に一読をお勧めします。(東徹著、日経BP社、3500円+税)

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