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【連載第17回・日経メディカル Cadetto連動企画】
患者家族としての終末期医療の悔い
洛和会音羽病院(京都市山科区)院長 松村 理司氏

2007/06/21

1974年京都大卒、呼吸器外科入局。その後、呼吸器内科・一般内科も専攻。市立舞鶴市民病院(京都府舞鶴市)で、北米の優れた臨床医を指導医として招聘する臨床研修制度を構築。2004年から現職。

 医師になって30数年、振り返ると「苦いカルテ」の方がずっと多い。ただ今回は、私の父親のことを取り上げてみたい。医師と患者との関係ではなく、患者の身内としての経験を通じて感じたことをお伝えしようと思う。

 父は78歳のとき、認知症の症状が出てきて、歩行困難になったため、検査も兼ねて入院した。検査では特に隠れている病気は見付からず、アルツハイマー型と多発性脳血管障害性が混合した認知症との診断だった。その後は、老人保健施設と、療養型病床に交互にお世話になる形で約4年間を過ごして、82歳で亡くなった。

 施設にお世話になって最初のお正月、父を家に連れて帰り、私と母、妹と3人で介護したが、本当に大変だった。父は、わざと失禁、失便をするのだ。おむつをしても自分で外して、部屋中が便だらけ。おむつをピンで留めたりしてもダメ。結局、3日間の帰宅予定だったが、2日でギブアップだった。

 そんなとき、友人夫妻と私と妻の4人でヨーロッパに1週間の予定でスキー旅行に行くことになった。しかし直前に、妻が仕事の都合で行けなくなり、急きょ、妹が行くことになった。父の状態は悪くなかったので、母一人でも大丈夫だと思っていた。

 ところが私たちが出掛けた直後、父が誤嚥し肺炎を起こした。そこで医師は、「栄養はどうしますか?」と母に尋ねた。大正生まれの母は、海外に電話して私たちに相談することもできず、「先生にお任せします」といったようだ。そうして経鼻胃管栄養が始められた。

 帰国後、父の鼻にチューブが入った状態でびっくりした。確かに病院側からすれば、「奥さんの了解の下に、家族の希望に応じてやった」というだろう。医師も、みんなによかれと思ってやったことだ。でも、私も妹も、経鼻胃管栄養は望んでいなかったのは事実だ。

 私は、以前から、人生の終末期に経鼻胃管栄養で命を長らえることの意味を問い続けてきた。2002年12月10日発行の日本内科学会雑誌に「地域医療における内科医の役割」のタイトルで、「『人生の終末期に、うまくもなんともないものをチューブで注がれ、しかも意識のない状態はいやだ』という死生観も、最大限に尊重されるべきだろう。“一億総経鼻胃管栄養化”は超克の対象であるべきだろう」と書いた。

 急性期だけならば別だが、高齢、認知症などで口から栄養を採りにくくなったからといって、慢性的に胃瘻や経鼻胃管で栄養を採ることは、本当にその人が望むことなのか。

連載の紹介

苦いカルテ・幸せのカルテ
医師であれば、苦い思い、あるいは心の残るエピソードを体験されていると思います。これらの貴重な体験は、他の医師の教訓として生かすことができ、多くの医師の心の支えになるものと考えられます。「苦いカルテ・幸せのカルテ」は、こうした体験談を医師会員の皆様から募集、掲載していく企画です。

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