日経メディカルのロゴ画像

【連載第15回・日経メディカル Cadetto連動企画】
「私は何の病気ですか」、癌告知に目覚めた一言
ケアタウン小平クリニック(東京都小平市)院長 山崎 章郎氏

2007/06/14

1975年千葉大医学部卒業、同大第一外科入局、八日市場市民病院を経て、91年聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長、2005年ケアタウン小平クリニック(東京都小平市)開設。

 「先生、私の病気は本当は何なのですか」

 ある日の夕方、私が回診に行ったとき、末期の胃癌で入院していた男性がこう尋ねた。私はうろたえてしまい、すぐに別の話題に切り替え、結局は答えることができなかった。患者さんは、「ありがとう」と言って眼を閉じ、もう二度と同じ質問を繰り返すことはなかった。その3日後、自分の病名を知らないまま亡くなった。

人生の尊厳をいかに保つか
 これは1980年代半ばのエピソードだ。当時の終末期医療の在り方に疑問を抱き、「患者や家族と相談した上で、余計な蘇生術はやらない」という方針で臨んでいたが、まだ告知は一般的ではなく、私にとっても克服できていない問題だった。また前述の患者さんの場合は、「本人には病名を伝えない」と家族と約束していた。

 だが、患者さんは、切実な思いで人生の最期に投げかけた質問に答えてもらえなかったことをどう思ったのか。もし答えていたら、患者さんはどうそれを受け止めたのか。あの時点で答えたとしても、患者さんに残された時間は変わらなかっただろうが、会話は可能な状態だったのだから、家族に大切な思いを伝えたかもしれないし、真実を知ることによって納得して亡くなっていかれたかもしれない――。そんな思いを私はずっと引きずっていた。

 亡くなる間際の尊厳は大切だが、それ以上に重要なのはそこに至るまでの人生の尊厳を守ることである。ここで言う尊厳とは、自分で考え、選択し、決定していくプロセスだ。悪い情報だからといって伝えないことが、果たしてその人の尊厳を守ることになるのか─―。自問自答を繰り返した末に、私はある時期から末期の癌の患者さんにも求められれば告知していくようになった。

ホスピスで告知したが…
 その後、ホスピスケアに取り組んだが、聖ヨハネ会桜町病院に来て間もないころにも苦い思い出がある。 

 ある日、外来を訪れたのは40歳代の男性だった。本人と話してみると、癌であること、そして治療は難しいことは認識していたが、余命を年の単位で考えていた。しかし、その方のX線写真などを見て、「年の単位は難しいと思います。また何かあればお手伝いします」と説明し、その日の外来は終わった。その後、音沙汰がなかったので状態が安定しているのだと考えていた。

 ところが数カ月後、その方の奥様から手紙が来た。患者さんは別の病院で亡くなったという。「年の単位は難しい」と言われたことがすごいショックで、それをきっかけに具合が悪くなったそうだ。そのときの私の話し方はとてもソフトだったが、内容は厳しいものであったと――。

連載の紹介

苦いカルテ・幸せのカルテ
医師であれば、苦い思い、あるいは心の残るエピソードを体験されていると思います。これらの貴重な体験は、他の医師の教訓として生かすことができ、多くの医師の心の支えになるものと考えられます。「苦いカルテ・幸せのカルテ」は、こうした体験談を医師会員の皆様から募集、掲載していく企画です。

この記事を読んでいる人におすすめ