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【連載第14回・日経メディカル Cadetto連動企画】
“結核”が頭に浮かばず対応が後手に
東京女子医大腎臓病総合医療センター外科教授 寺岡 慧氏

2007/06/11

1970年東大医学部卒業。同大付属病院小児科、諏訪中央病院、茨城県立中央病院などを経て、92年より現職。わが国屈指の臓器移植のベテラン医。

 今でも、毎日のように思い出す患者さんがいる。忘れることはできない。その患者さんと出会い、その方が亡くなったのは、私が茨城県立中央病院に外科医として勤務していた1976年、大学を卒業して7年目のことである。

潰瘍性大腸炎と思い込む
 ある日、脳神経外科の病棟から「下血した患者さんがいるので、診てほしい」という往診の依頼があった。

 患者さんは、50歳の女性で、学校の先生をしておられた。「1カ月ほど前から同側性の半盲を訴えたため、脳腫瘍を疑ったが、頭部CT、脳血管造影、髄液検査で、いずれも異常所見がなかったので、脳神経外科に入院した上でステロイド薬(30mg/日)を投与し、経過観察をしていた」ところだった。ところが、徐々に意識障害が進行し、ステロイドを増量したところ、下血が始まったという。

 急ぎ、脳神経外科に行き、ロマノスコープで診察した。その結果、直腸に潰瘍が認められたため、生検して病理検査に提出した。病理からは「潰瘍性大腸炎」との所見が返ってきた。

 潰瘍性大腸炎では、脳血管性病変が合併することもあるため、同側性の半盲、意識障害、下血、潰瘍の症状は、一元的に説明できるものと私は考えた。既にステロイド薬を投与していることもあり、そのまま経過を見ることにしたのである。

 ところが、その3日後に、脳神経外科から患者さんの容体が変化したとの連絡があり、駆け付けたところ、お腹がぱんぱんに張り、高熱も出ていた。「これは、潰瘍性大腸炎によるtoxic megacolon(中毒性巨大結腸症)だ」と考え、手術適応と判断して、直ちに全身麻酔下での緊急の開腹手術を始めた。

 開腹して最初に目に飛び込んできたのは、小腸の多発性の穿孔、それに、腸間膜全体に散在性に広がる小膿瘍だった。「しまった。これは結核だ」とそのとき初めて気付いたのだが、それからの対応は後手に回ってしまった。

患者の死に打ちのめされる
 まず、腹腔内を洗浄して、穿孔している3カ所にストーマを造設した。そして、ドレナージを行うと同時に、抗結核療法を開始した。もちろん、ステロイド薬は直ちに切るようにお願いした。

 しかし、3日目にドレーンから消化液が出るようになり、再び開腹すると、小腸の他の部位が穿孔していた。またストーマを追加し、ドレナージを続け、新たな穿孔があればまたストーマを、という治療を続けたが、約4週間後に、多臓器不全で患者さんは亡くなった。これにはこたえた。打ちのめされた。「思い返せば、いくつかキーがあったのに─」。いくら悔いても悔やみきれないのである。

 中でも、中枢神経症状がある、髄液に異常所見がない、下血している、ステロイド薬を投与している、といった状況から、結核が全く頭に浮かんでこなかったことがショックだった。

 後日、他院の脳外科の医師から「結核の髄膜炎では、髄液の所見がなくても、トリプトファンだけが高いことがある」ということを聞いた。しかし、私は、結核による髄膜炎を結果的に鑑別から外していた。

 また、古い教科書を読むと、「直腸出血の半数近くは、結核性の潰瘍による」という記述もあった。やはり結核が頭にないため、鑑別から外していたのである。患者さんの祖父が結核であったという家族歴も、後から知ったことだった。

 「結核」を鑑別診断から外しさえしなければ、ステロイド薬投与など抗結核療法に反する治療を早くに中止できたのではないか、命を救えたのではないか─。今でも堂々巡りの反省をしている。

連載の紹介

苦いカルテ・幸せのカルテ
医師であれば、苦い思い、あるいは心の残るエピソードを体験されていると思います。これらの貴重な体験は、他の医師の教訓として生かすことができ、多くの医師の心の支えになるものと考えられます。「苦いカルテ・幸せのカルテ」は、こうした体験談を医師会員の皆様から募集、掲載していく企画です。

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