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【連載第13回・日経メディカル Cadetto連動企画】
総合診療医の原点となった患者家族の一言
筑波大病院総合臨床教育センター病院教授 前野 哲博氏

2007/06/07

1991年筑波大卒、河北総合病院研修医。94年筑波大、98年筑波メディカルセンター病院を経て、2000年に筑波大臨床医学系講師、03年同助教授。2006年から現職。

 「主人は、本当にそれだけのことをしてくれましたので」

 私が研修医1年目として河北総合病院(東京都杉並区)に勤務していたとき、在宅で診ていた患者さんの奥様にある日、「なぜそんなに一生懸命に介護をされているのですか」と尋ねたところ、返ってきた言葉だ。その言葉に私は心から感動したことを今でも鮮明に覚えている。

 その患者さんは60歳代で、難病である進行性核上麻痺だった。私はある程度、進行してから主治医となり、定期的に訪問していた。

「元気なころに会いたかった」
 首が反り、足がつっぱってしまうため、通常の車椅子ではずり落ちてしまう状態だった。そこで背もたれが高く、足をバンドで固定できる特製の車椅子を使っていた。無表情で、高度な会話は成り立たず、手を握ると握り返すくらいの反応しかできなかった。時々、出す声といったら、「ワー」という吠えるような叫び声だ。

 嚥下障害のため、誤嚥性肺炎を起こしては入退院を繰り返す日々だった。私は病院のすぐ裏手に住んでいたが、夜中に痰が詰まって窒息寸前になり、呼び出されたこともあった。

 そんな患者さんの介護の大変さは言うまでもない。しかし、奥様はいつも明るく、懸命に介護していた。だから、思わずその理由を聞いてしまったのだ。

 私は、表情もなく、やせ衰えた患者さんしか知らない。しかし、こんなにまで奥様が尽くしてくれるのだから、それはすてきなご主人だったに違いない。この人は、それまでどんな生活をし、どのような声で何を話していたのか、「患者さんが元気なときに会ってみたかった」と心の底から思った。奥様は健康なご主人を当然ながら知っており、その延長線上で介護をしている。痰が吸引できているかなど細部にばかり目が行きがちだった私は、奥様を通して、元気なころの患者さんに思いをはせた。

 結局、最後は肺炎でお亡くなりになったが、奥様は失った悲しみはあるものの、やるだけのことをやり遂げた、すがすがしい表情をされていた。

連載の紹介

苦いカルテ・幸せのカルテ
医師であれば、苦い思い、あるいは心の残るエピソードを体験されていると思います。これらの貴重な体験は、他の医師の教訓として生かすことができ、多くの医師の心の支えになるものと考えられます。「苦いカルテ・幸せのカルテ」は、こうした体験談を医師会員の皆様から募集、掲載していく企画です。

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