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寄稿◎新型コロナウイルスの国内対応
このタイミングでの新たな立法が抱えるリスク
特措法を使わない「一律休校要請」から見えた危うさ

2020/03/04
森井大一(大阪大学感染制御学)

 誰がやっても難しいと思う。今の政権だから、感染が広がったわけではない。しかし、それにしても、である。

 2月27日の「一律」休校要請は、手続き的にも実態的にも、これ以上ない悪手であった。筆者は厚生労働省に奉職したことがあるが、元同僚や先輩たちがこのような悪手を進言するとは信じがたい。誰がどのように決めたのか知らないが、まともな役人が考えることではない。

 なによりも、感染リスクが均一でないのに、一律の対応を取ることが合理的ではない。2月27日の時点で、例えばどこか離島の小学校を休校にすることの合理的な理由はない。これだけでも国民の教育を受ける権利の侵害ではないか? それは憲法違反とも言えるものではないだろうか。ものすごく多くの子供たちが、必要以上にこの一斉休校の影響を受けたと思われるが、人口の大小の問題ではない。政策として雑すぎる。

 もう少し分析を進めるために、現状についての認識を整理する必要がある。原稿執筆時点である2020年3月3日において、日本における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の状況はどのようなものであるか? 感染していない人までもの、自由な移動や、経済活動や、学ぶ機会を制限せざるを得ないような危機的な状況なのか? ここでは、そのような危機的な状況であればこれを「有事」とし、そうでなければこれを「平時」と呼ぶことにしよう。

 インフルエンザの感染者数は平年で約1500万人、超過死亡(死亡診断病名としての死因を問わない、インフルエンザ流行による総死亡のこと)を含めたインフルエンザによる死亡が約1万人であることと比べれば、COVID-19の純粋な疾病負荷は今のところとても小さい。今冬はインフルエンザがいつもより少なめなので19/20シーズンの超過死亡が5000人で済むと仮定して、COVID-19の夏ごろまでの死者数をかなり悲観的に見積もって500人だとしても、インフルエンザで死ぬ確率の方が10倍高いことになる。2020年3月初旬時点では、日本に暮らす圧倒的多数の市民はCOVID-19よりもインフルエンザを心配した方がいい。しかもインフルエンザは毎年毎年そうやって多くの人の命を奪っていく。それと比べると、このCOVID-19の日本での状況を有事とするにはやや大げさすぎる気がする。とはいえ、「未知の」(とあえて言っておく)感染症であるCOVID-19の完全な全容はまだ分からず、「集団免疫が構築されていないことを重くみれば、敢えての有事対応もギリギリ許容されるだろう」というのが筆者の基本的な考え方である。

 では国はどう考えているか。国は、少なくとも今はまだ平時という姿勢を崩していない。そうみなされる理由として、既にある新型インフルエンザ等対策特別措置法を動かしていないことが挙げられる。条文上、新型コロナウイルス感染症であっても新感染症として十分に読めるのに、である。これについては、国会で首相や厚労相は「病原体がすでに分かっているものは、原因不明ではないから新感染症にはならない」という主張をしているようだが、この法解釈はとても奇妙だ。感染症法44条の6には「厚生労働大臣は、新感染症が発生したと認めたときは、速やかに、(中略)、病原体の検査方法、症状、診断および治療並びに感染の防止の方法、(中略)、情報を新聞、放送、インターネットその他適切な方法により逐次公表しなければならない」としている。続く44条の7は、「新感染症の病原体を含む」検体の取り扱いを定めた条文だ。新感染症であって、その原因微生物が分かっている想定の法条文があるのに、原因微生物が判明した時点で新感染症ではなくなる、というのは普通の日本語ではない。

 考えてみれば「新感染症は、原因のウイルスが同定された時点で新感染症ではなくなる」などという主張はただの屁理屈だ。100年前ならまだしも、インフル特措法が立法された2012年に、病原体が不明のまま「なんだか感染症らしい病気が広がっている」という事態が数カ月も続くことは考えにくかった。「新感染症は、原因のウイルスが同定された時点で新感染症ではなくなる」のなら、新感染症は実態を伴わないただの概念でしかないことになってしまう。ちなみに、感染症法における「新感染症」の定義は、「人から人に伝染すると認められる疾病であって、既に知られている感染性の疾病とその病状又は治療の結果が明らかに異なるもので、当該疾病にかかった場合の病状の程度が重篤であり、かつ、当該疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるものをいう」となっている。

 このことをこれ以上真面目に分析するのは無駄である。要するに、屁理屈でもいいから理屈を並べて、「平時」を維持しているのである。今(3月3日時点)のところ。

 百歩譲って、国がインフル特措法を動かさないのは、あくまで「COVID-19が新感染症に当てはまらないから」という理由を認めたとしよう。そうなると、確かに法律(インフル特措法)に基づいて人権に制限をかけることはできない。

 そうであったとしても、マックス・ウェーバー風に言うなら、政治家は(行政官僚とは違い)時に社会の存続のためには例外的に法の外側にある正義にコミットすることも時にいとわない存在である。2月27日の一律休校要請は、もしかしたら(マックス・ウェーバーのいう)“職業としての政治”をやろうというのか? と筆者の頭の片隅0.05㎜ぐらいのところで思わなくもなかったが、翌日には案の定「いや、要請だから、強制じゃないんで」と言い始めた。法の外側の正義へのコミットを貫徹するというつもりはなかったようである。

 法の枠内でやっていただけるのであれば、筆者としても胸をなでおろすことができる。しかし、そうであるならば緊急事態宣言をしないまま、インフル特措法に基づかない休校要請はやはり要件を欠くという「違法問題」が残ることになる。

 確認しておくが、筆者は、「まだ有事ではない」という国の現状認識自体が間違っていると言っているのではない。上記に述べたように、筆者自身「基本的にはまだ平時」と思っている。平時の中ででもやらなければならないことはある。

 ところが、である。2月27日の午後に突如として、全国の公立学校の休校を一律に要請するという発言が内閣総理大臣の口から出た。

 有事法制であるインフル特措法ですら、休校要請は都道府県知事がすることになっており、国のどの職位にもそのようなことを要請したり指示したりすることは法律上授権されていない。また、都道府県知事が休校要請する場合ですら、都道府県知事が思い付きでそれをしていいわけではない。大前提として、緊急事態が宣言されていなければならない(その意味で北海道知事の休校要請も法律からの逸脱であるし、国に授権されているはずの緊急事態宣言を知事が行うというのもかなりグレーな行為ではある)。そもそも、公衆衛生上のやむを得ない目的のためであるとはいえ集会の制限や休校要請など、相当程度の人権制限を行うのだから、その行政効果は極めて慎重に最小化して行われなければならない。

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