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日経メディカル2012年10月号「特集 医師人生の岐路と選択」転載 Vol.4
収入減でも理想の診療を実現
Part1 医師6人の転機と決断【開業 その2】

白水内科(大阪府池田市)院長
白水勝人氏(53歳)
1959年福岡県生まれ。89年近畿大卒。同大第一内科に入局し、城山病院、松原中央病院などを経て、2010年に白水内科を開設。

 白水勝人氏は50歳を迎えた2010年7月、大阪府池田市に白水内科を開設した。直前までは診療所勤務医として働いていたが、「患者一人ひとりを時間をかけて診る」という自分の理想をかなえるため、開業に踏み切った。

 白水氏は1989年に大学を卒業後、循環器内科に進んだ。同科を選んだ理由は、「癌患者が少ないから」。後ろ向きな理由にも聞こえるが、当時はまだ癌患者本人への告知が一般的ではなかった時代。「患者に嘘をつきながら診療したくはなかった」と振り返る。

 診療面ではやりがいがあったが、病院の外来診療は午前中の3時間で40人以上診察するのが当たり前で、まるで流れ作業のようだった。生活習慣が密接に関係する循環器疾患だからこそ、白水氏は患者の日々の生活の様子など世間話をしながら診療したいと考えていた。

 さらに、30歳代後半になると、月4回の当直勤務を負担に感じるようになってきた。当直翌日も夜間まで働き、48時間連続勤務の日もあったという。こうした要因が重なり、白水氏は次第に開業したいと考えるようになった。しかし、一人で診療所を切り盛りするまでの踏ん切りがつかず、足踏みの状態が続いた。

 ちょうどその時、知人医師から、診療所の分院で働かないかと誘いを受けた。先代の院長が亡くなったためだ。白水氏はこれを応諾、42歳で診療所勤務医(院長)となった。

 だが、診療所で働き始めると、医師でもあるオーナーとの間で徐々にあつれきが生じるようになった。コスト削減の徹底を求められたり、診療内容にも口を挟まれた。「収益確保のため、必要と思えない検査をするよう要求されるなど、意に反する診療を強いられることもあった」と言う。雇われ院長なら経営に関わらずに済むと考えていたが、逆に思うような診療ができないことにストレスを感じるようになった。

 結局、最後はけんか別れのような形で診療所を去り、50歳で内科、循環器内科、呼吸器内科を標榜して開業した。「今さら病院に戻るという選択肢はなかったし、診療所勤務医として働こうとも思わなかった。自分がしたい診療をするためには、開業するのが一番いいと考えた」と語る。

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