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日経メディカル2011年3月号「この人に聞く」(転載)
東京女子医大が「衷心から謝罪」、10年に及ぶ長い闘いに区切り
佐藤 一樹(いつき会ハートクリニック院長)

さとう かずき氏
1991年山梨医大卒、東京女子医大循環器小児外科入局。99年同科助手、2002年千葉こども病院心臓血管外科医長、同年綾瀬循環器病院勤務。09年綾瀬ハートクリニックを開設。11年いつき会ハートクリニックに名称変更。
(写真:秋元忍)

 心房中隔欠損症の女児が術中の医療事故で死亡した、2001年の東京女子医大事件を覚えている方は多いでしょう。私はこの事件で大学から事故責任を押し付けられ、逮捕・勾留されました。05年の一審、09年の控訴審で無罪判決を受け、09年4月には検察が上告を断念し無罪が確定しました。しかし、でたらめな内部報告書をまとめ、私が罪に問われる原因を作った同大への怒りは収まりませんでした。

 そこで07年、報告書の撤回や謝罪などを求め訴訟を提起。今年1月6日、和解が成立しました。内容は、同大側が「衷心から謝罪する」こと、報告書に誤った記載内容があったと認めること、200万円の賠償金を支払うこと。今回の和解は私にとってとても意義のあるものでした。

 逮捕後勾留された東京・新宿の牛込警察留置場の環境は、それはひどいものでした。複数の被疑者が一部屋に押し込められ、新聞を10分以上読んだりメモしたりすることもできない。食事もひどく、朝食は前日炊いて硬くなったご飯とたくあん2枚、昼食はコッペパン2個にマーガリンとジャム、夕食は油分が過剰なおかずにご飯と味噌汁──といった感じ。留置場で45日間過ごし、起訴後は小菅の東京拘置所に収容されました。

 「罪を犯してないのに、どうしてこんな目に…」。拘置所生活は留置場ほどひどくありませんでしたが、鉄格子のはめられた窓から空を見上げていると、大学への強い怒りがふつふつと湧いてきました。この怒りが、事件発生から和解までの約10年間における私の原動力となりました。

 和解の際、私がこだわったのは「衷心から謝罪する」という言葉を和解文に入れることでした。和解文は、私が作った文案を同大側が修正し、裁判所がまとめる形で行われましたが、同大は「衷心から謝罪する」を削除してきませんでした。

 「衷心」を辞書で調べると、「誠心」「心の底」などと出てきます。「衷心から謝罪」を普通の言葉に換えると、「土下座してお詫びします」に当たると思います。和解文をまとめた判事や担当弁護士によると、「こうした文言での和解は記憶にない」とのこと。私の長い闘いに区切りが付き、ようやく気持ちが晴れた瞬間でした。

 それにしても、組織を守ろうと一医者に事故責任を押し付ける行為が、どれだけ人の人生を狂わせるか…。私は小児循環器治療を窮めたかったのですが、逮捕により大学を追いやられ、専門知識を身に付けるのも難しくなりました。保釈条件が「関係者に会ってはいけない」という内容で、医師として伸び盛りの30歳代に学会にも行けなかったのですから。

 保釈後、綾瀬循環器病院(東京都足立区)が私を雇ってくれましたが、裁判に多くの時間が必要だったため、給料の安い嘱託医としてしか働けませんでした。それでも、最初数年間は小児循環器外科医として復帰する希望を捨てられませんでした。

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