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医局撤退
小鷹昌明(獨協医科大学神経内科)

2011/05/03

 大学病院勤務を18年間続ける中で、私はこれまで送別の機会に幾度となく立ち会ってきた。それぞれの医師がそれぞれの事情で、それぞれの転地に異動していく姿を眺めてきた。円満な笑顔の一方で、憤懣やるかたない表情や歪んだ笑みを浮かべる方もおられたような気がする。同じ医局に属し、同じ研修を受け、同じ診療に従事し、質の高い教育と研究を行ってきたはずである。

 紛れもなく自分を急成長させた現場であり、他の医局員たちの激励と優しさとに触れ、夢と希望の中で賞賛の美をもって人生の転換期を迎えるはずであった。しかし、昨今の医師不足と不況における潜在的戦時下では、一般的な常識は通じなくなった。折しも、国内観測史上最大のマグニチュードを有する震災が東日本を襲い、世の中は混乱を極めた。

 これからの時代において強調すべきは、まず“生き残る”ことである。生き残れてこそ、人生や仕事や恋や友情といったものの甘美を味わうことができる。“サバイバル”のための戦略を練る必要がある。人生の再スタートを考える優秀な医療者たちのために、本稿では「医局の正しい撤退の仕方」のススメを説く。医局に属する先生方の将来に暗い影を落とさぬよう、アドバイスをしたい。

 私は、これまでの職歴において、半年間ほど関連の市中病院に出向し、2年半に渡って英国に留学した経験を持つが、それ以外の期間のほとんどを大学病院で過ごしてきた。在籍していられたのは、大学病院の環境が真綿のように心地良かったからではない。私が優秀で成功者だったということではさらにない。大学病院を馴染ませ、ほどよく使いこなし、共依存を繰り返してきたからである。言い換えるならば、上手く利用してきたからである。大学病院の変遷をずっと見続けてきた私だからこそ、伝えられる知見がきっとあると思っている。

 転職、あるいは医局を辞めるための初期動作は、まず“自身の自己固め”である。「なぜ、自分は医局を辞めるのか?」、このことを徹底的に内観し、自らに語りかけることである。「医局を辞めてまでも実現したい自分の夢や希望が、本当にその形でしか実現し得ないものなのか」ということを奥底まで考える必要がある。己の今後の人生のすべての源であるからして、努々この自己省察の過程を怠ってはいけない。抽象的な言い方かもしれないが、願望や欲望といったものは大脳で考えるにしても、最終的な決行に関しては、「魂の声が聞こえるか」というところで判断する。

 例えば、私に寄せられる周囲の期待に、無謀とも思える“作家と議員”がある。「小鷹先生、いつもつまらないエッセイばかり書いていないで、今度は小説でも書いてみてくださいよ」とか、「医療のことを勉強して持論を振りまいているなら、県会議員にでもなってしくみを変えてくださいよ」などと言われることが、ままある。

 それは、周囲が面白おかしくはやしたてているだけかもしれないが、こうしてインターネット・メディアに論文を投稿したり、県の医療協議会に出席したりしていることを考えれば、私が思想家や映画監督や花屋や黒魔術師やひよこ鑑定士になるよりは、現実味があるのではないかと思う。なぜそうしないかといえば、能力もさることながら、心の叫びとして聞こえてこないからである。重要なことは、“真摯な思索”と“魂の納得”である。さらに、“自己固め”と並行して練り上げる作業は、“タイミングの見極め”についてである。そのためには、“医局の変遷”を理解しておかなければならない。

 医局とは、“主任教授の交代を契機に新陳代謝を繰り返す人体器官”のようなものである。脳や脊髄に教授や准教授が君臨し、重要臓器は講師が陣取り、手足には助教がひしめき合い、皮膚だの髪だの爪だのという代謝回転の速い最前線にいるのが研修医である。だから、医局には栄枯盛衰がある。諸行無常の響きの中で常に流動的に変化している。その時々の流行りと廃りの中で、医局というものは発展と衰退を繰り返している。

 まず、医局の勢力がもっともボトム化する時期は、紛れもなく主任教授の交代時期である。教授の退官時期が近づくと(たとえば残り2年を切ったあたりから)、医局の人事は一気にざわめき立つ。次期教授候補の噂はもちろんのこと、現教授の退官前の記念学会の幹事を任されたり、業績集なるものを作成したりするなどの引き継ぎのための雑務が増えてくる。

 方針の定まらぬうちに入局する新人医師も少なく、ここは現医局員の正念場ともいえる。現在の教授に仕えていた医局員たちも身の振りを考えるようになるが、この時期に辞めることは得策ではない。しばらくは、静観することである。

 ここでは論点がぼけるので教授選に関する話題には触れないが、辞めることを考えている医師は、新教授の誕生した後の数年間をよく観察することである。就任直後の教授は意欲がある。理想とする医局の姿についての青写真を描いている。その結果、ガッツある教授の下には人も集まる。魅力的に映る医局は、確かに何かしらの“ウリ”がある。「教授の世界的権威」「充実した研修システム」「ブランド病院へのコネ」などである。

 そうした雰囲気に流されて、「何となくこの医局ならやる気を引き出してくれるのではないか」という幻想を抱いて入局する医師も、「これだけ人気があるのだから、働きやすいだろう」という期待を胸に入局する女医も、中にはいる。さまざまな人種の入り混じった医局は、一気に活気の高騰をみせる。積極果敢な教授、それに惹かれた野心的だが個性的な中堅医師、流れに感化された真面目だが少し軟弱な若手医師・研修医といった見事なまでのグラデーションに彩られた時代に、医局はもっとも栄耀栄華を極める。

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