2009年のインフルエンザA感染症の流行(パンデミック)を通じて我々は多くを学んだ。もっとも価値のあったのは、「日本の感染症対策はあらゆる層において遅れている」という我々感染症のプロが長く苦痛に感じていた事実を、国民的なコンセンサスとして共有できた事であろう。
これまで、私は何人もの関係者に「日本の感染症界はこれではダメだ。改革が必要だ」と説いてきたが、「そんなこと国民も学会も求めていないじゃないですか」と木で鼻をくくるようなあしらいを受けてきた。新型インフルエンザを通じて、これまで看過されてきた問題が顕在化したのである。
麻疹が未だに流行する、子どもの命が髄膜炎や喉頭蓋炎で失われる。ワクチンそのものが疾患を起こす生ワクチンでなく、不活化ワクチンを使えばあり得ないポリオの発生が未だに起きている。
麻疹情報(感染症情報センター)
ワクチン接種で減らせる乳幼児の細菌性髄膜炎―先進国中最も遅れている我が国の対応
ポリオ:神戸の乳児が発症 ワクチン未接種、経口感染か/兵庫
このような「先進国ならあってはならない厄災」が日本では日常的である。先進国の多くはこの問題を克服している。日本は、克服できるにもかかわらず、やっていない。新型インフルエンザに関わる、解決していない問題がうまく処理できなかった事を私は恨みに思わない。分からない事は分からず、できないことはできないのだから。しかし、「できると分かっている事」を看過するのは許容できない。
常時起きている厄災にはメディアは見向きもしない。メディアが叩かないと、厚労省は動かない。10年前からある1億の借金より、昨日借りた10万円の方がインパクトが大きいのである。このような軽薄なメディアが、2009年の新型インフルエンザに飛びついた。腰の重かった厚労省も動かざるを得ないと考えた。厚生労働省健康局長の上田耕三氏は予防接種法を「不退転の決意で大改正に取り組む」と述べたという。
これはチャンスである。いきさつはどうあれ、何十年と続いた日本の予防接種システムの遅れを、この機会に一気に挽回したい。
しかし、2月19日に公表された厚生科学審議会感染症分科会予防接種部門会の「提言」を読んで私は心の底からがっかりしたのだった。
この「提言」は叩かれて仕方なく作られた代物である。新型インフルエンザワクチンの運用で起きた齟齬や混乱を修正する部分にしか議論がされていない。そこにはビジョンがない。プリンシプル(原理)もない。ゴールがない。日本を予防接種によってどのような国にしたいのか、何を目指したいのか、見据えていない。叩かれたから、動く。動いてから、なんとなくゴールが決まる。日本は長いあいだこのような「後追い」の構造で政策を決定してきた。しかし、叩かれて仕方なく動くだけならば、そしてその目指すところが不明確ならば、むち打たれて走りまわる牛馬と同じではないか。
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