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グリベック自己負担金問題を考える
お金がなくてがん治療が受けられない(上)
上昌広(東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門准教授)

2009/08/26

かみ まさひろ氏○1993年東大医学部卒業。99年東大大学院医学系研究科修了。虎の門病院、国立がんセンター中央病院を経て2005年10月より現職。

※今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media)7月15日発行の記事(「第35回 お金がなくてがん治療が受けられない~グリベック自己負担金問題を考える(上)」)をMRIC用に改訂し転載させていただきました。

 一昨年以来の経済危機も、最近は景気の底入れ感が強まり、先日のイタリア ラクイラ・サミットでは出口戦略が議論されたようです。

 ところで、この経済危機が、多くの患者に甚大な影響を与えていることをご存じでしょうか?お金がなくて治療を続けることができない患者が続出しているのです。読者の方々は、「日本は国民皆保険で、全ての国民が医療を受ける権利が保証されている。医療現場にも市場原理主義を持ち込んだアメリカのようにならなくて良かった」とお感じのかたが多いのでしょうが、これは現状を正確に把握していません。

 今回はグリベックという抗がん剤の費用負担を通じて、我が国の医療費負担の問題を考えたいと思います。この問題は、グリベックに限らず、多くの抗がん剤や治療法に通じる構造的問題です。

【近代医学の結晶 グリベック】

 グリベック(化合物名イマチニブメシル酸塩)とは、スイスの製薬企業ノバルティス社が販売する飲み薬の抗がん剤です。オレゴン健康科学大学のブライアン・ドラッカー博士の研究成果を元に、1992年より非臨床試験、1998年より臨床試験が始まり、2001年5月に米国FDA、同年11月に我が国で慢性骨髄性白血病の治療薬として承認されています。グリベックの登場により慢性骨髄性白血病は、その治療戦略が抜本的に見直されました。

 慢性骨髄性白血病とは稀な白血病で、年間の発症者数は1200人程度、国内に約10,000人の患者がいます。発症年齢の中央値は66歳と、高齢者に多い病気です。元関脇の蔵間さんが亡くなった病気と言った方がわかりやすいでしょうか。この病気は、数年の経過でゆっくりと進行し、10年程度で全員が亡くなります。治癒が期待できる唯一の治療法は骨髄移植ですが、副作用が強いため、一部の若年患者しか受けることができません。そのため、従来はインターフェロンを用いて延命を図るのが標準治療とされてきました。

 このような状況は、グリベックの登場により一変しました。グリベックの治療成績は極めていいのです。2008年の米国血液学会で発表された研究結果では、グリベック投与患者の7年生存率は86%です。これは、従来、標準治療とされてきたインターフェロンαの7年生存率が36%であったこととは対照的です。

 第二の特徴は、副作用が軽く、殆どの患者が通常の日常生活を送れることです。抗がん剤というよりは、降圧剤に近い存在です。これは、インターフェロンが強い倦怠感や発熱などを伴うこととは対照的です。そもそも、インターフェロンは、ウイルス感染時に体内で作られる物質です。インターフェロンによる発熱・悪寒・倦怠感は、風邪をひいた時をイメージするとわかりやすいでしょう。

 グリベックの副作用が軽いのは、がん細胞だけに発現している特定の分子を狙い撃ちして、がん細胞の分裂を抑制するからです。このため、グリベックのような薬剤は「分子標的治療薬」と呼ばれ、正常細胞もがん細胞も同じように攻撃する従来の「細胞傷害型」抗がん剤とは区別されています。

 グリベックは、1960年代にペンシルバニア州フィラデルフィアの二人の研究者が、この染色体を発見して以来の長年の医学研究の成果です。グリベック以降、多数の分子標的治療薬が開発され、多くのがんの治療戦略が見直されつつあります。このため、ブライアン・ドラッカー博士は将来のノーベル生理医学賞候補と呼ばれています。

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