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新型インフルエンザ対策の争点―検疫と人権―
上昌広(東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門准教授)

2009/06/23

かみ まさひろ氏○1993年東大医学部卒業。99年東大大学院医学系研究科修了。虎の門病院、国立がんセンター中央病院を経て2005年10月より現職。

※今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media)6月17日発行の記事(第33回 新型インフルエンザ対策の争点:検疫と人権)をMRIC用に改訂し転載させていただきました。

 我が国をパニックに陥れた新型インフルエンザ騒動も、ここに来て落ち着きを見せ始めています。しかしながら、すでに南半球では大流行の兆しがあり、今秋の再流行は避けられそうにありません。今回の教訓を踏まえ、私たちは何をなすべきでしょうか。

○新型インフルエンザ騒動の検証が必須

 まず、やるべきは今回の騒動の検証です。空港検疫に代表される水際対策(検疫体制)、学校閉鎖や強制入院などの国内対策(行動計画)、国民への情報開示、さらに医系技官を中心とした医療行政のあり方など、この機会に見直すべき問題は山積しています。

 例えば、政府関係者は、空港での水際作戦は新型インフルエンザが国内に蔓延するのを遅らせ、国内の体制整備に寄与したと繰り返し発言していますが、これは何を根拠にしているのでしょうか?徹底的な議論が必要です。

 ちなみに、British Medical Journal という一流の医学誌で、ロンドンの研究者たちが、空港検疫のシミュレーション結果を発表し、SARS、インフルエンザともに意味がなかったと報告しています(Pitman RJ, et al., BMJ, 2005)。また、カナダの研究グループもSARSに対し、同様の研究成果を報告しています(John R, EmergInfect Dis, 2005)。私の知る限り、水際検疫を有効と評価した学術論文はなく、世界の医学者と政府関係者の理解には大きな齟齬がありそうです。

 さらに、今回の新型インフルエンザ対策が、いかに実態経済に影響したか定量的に評価する必要があります。経済危機からの回復を目指し、巨額の財政出動を行っている傍らで、今回の対策が、関西経済に壊滅的なダメージを与えたことは間違いありません。

 内閣府の発表によれば、近畿の景況感は2.4ポイント低下しています。これは他の地域が改善している事と対照的です。更にJTBの旅行取り扱い額は150億、東海道新幹線の利用客は14%も減少したと報道されています。

 厚労省は、新型インフルエンザ対策の検証を目的として、研究班を組織するようです。しかしながら、厚労省の失態が問題となっている以上、そのあり方、特に人選については注意が必要です。過去の経緯を鑑みれば、御用学者が選出され、お手盛りの報告書ができあがることが、容易に想像できます。中立的な第三者も交えた、公開での検討が必要でしょう。ちなみに、研究班は、その審議を公開する義務がないため、情報公開の観点からも不適格です。

○戦前の思想を引き継ぐ検疫体制

 まず、検疫体制について考えましょう。検疫とは、成田空港などで繰り広げられた水際作戦のことで、検疫法に基づいて、厚生労働省が行う行政行為です。その目的は、検疫法の第一条に「国内に常在しない感染症の病原体が船舶又は航空機を介して国内に進入することと防止する」と明記されています。

 この法律は昭和26年に制定され、平成18年に改正されていますが、その原型は戦前に遡り、「国家権力が病人を隔離することにより、伝染病の蔓延を防ぐ」という規範意識に立脚します。検疫法では、検疫所長に強い権限が与えられ、患者を見つけたら、その判断で病院に隔離することが出来ます。また、機内で患者と濃厚に接触した者を停留することが出来ます。今回は10日間、ホテルに缶詰になりました。

 隔離、停留の何れに関しても、検疫所長の指示に従わなければ、罰則を受けます。具体的には、検疫法35条に、「隔離又は停留の処分を受け、その処分の継続中に逃げた者は、1年以下の懲役又は百万円以下の罰金」と記されています。

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