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厚労省の新型インフルエンザ対策を考える
「検疫礼賛」の陰で何が見過ごされているか
上昌広(東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門准教授)

2009/06/02

かみ まさひろ氏○1993年東大医学部卒業。99年東大大学院医学系研究科修了。虎の門病院、国立がんセンター中央病院を経て2005年10月より現職。

※今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media)5月20日発行の記事(第31回 厚労省の新型インフルエンザ対策を考える 「検疫礼賛」の陰で何が見過ごされているか)をMRIC用に改訂し転載させていただきました。

 5月19日現在、国内の新型インフルエンザ感染患者数は178人に達し、その数は急増加しています。新型インフルエンザは、阪神地区に留まらず、既に全国に蔓延してしまっているのかもしれません。5月15日に神戸市で最初の患者が発見されて、わずか数日で、患者数は世界4位となった訳ですから、これまでに診断された患者は氷山の一角と考えるのが妥当でしょう。

 現に、新型インフルエンザの爆発を示唆する所見は多数あります。例えば、厚労省は全国の学級閉鎖をモニターした「インフルエンザ様疾患発生報告」を、毎週発表していますが、5月3~9日の患者児童数は879人。昨年の同時期はゼロですから、季節性インフルエンザが遷延しているだけなのか疑問です。

 また、関西での患者の分布は豊岡、姫路、神戸、茨城、八尾と広範です。特に八尾市の患者は小学生で、生活圏は狭いと考えられますから、複数の経路で新型インフルエンザが伝染し、近畿圏にはすでに広く拡散したと考えるのが合理的です。

 つい先日まで、厚労省は水際対策に成功したと主張し、多くのマスメディアが厚労省の主張に追随してきました。ところが、実態は全く違った訳です。なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。

○厚労省の誤ったプロパガンダが新型インフルエンザの蔓延を助長した

 まず、議論しなければならないことは、厚労省の誤ったプロパガンダが新型インフルエンザの蔓延を助長した可能性があることです。

 新型インフルエンザが社会的問題になって以降、厚労省は「新型インフルエンザは弱毒性」「水際対策は有効」と主張し続けました。水際対策の問題点は後述しますが、厚労省発表は連日のようにマスメディアで報道されたため、多くの国民が「新型インフルエンザは日本に上陸していない」と安心したのはないでしょうか。このような気持ちのゆるみが、感染予防行動の不徹底を招き、潜伏期の患者を通じて、新型インフルエンザを広めてしまった可能性は否定できません。

 一方、成田空港で見つかった新型インフルエンザ感染者や濃厚接触者が、強制的に入院、あるいはホテルで隔離されていることも繰り返し報道されました。一連の報道は新型インフルエンザ感染のリスクが高い人を、かえって医療機関や保健所から遠ざけた可能性があります。放置すれば数日で治る病気を、わざわざ医療機関にかかり新型インフルエンザと診断されてしまったら、10日間も隔離されてしまいます。自営業者には死活問題です。
 そもそも今回の新型インフルエンザは「弱毒性」です。しかしながら、厚労省、とくに医系技官幹部は、強毒性のトリインフルエンザを念頭に作成した検疫重視の行動計画、および検疫法の執行に拘りました。これは、彼らの責任逃れの側面もあるでしょう。

 不幸だったのは、厚労省記者クラブを中心に検疫風景が大々的に報道されたことです。このような報道が、国民、官邸、さらに厚労官僚自身に検疫が有効であるという錯覚をもたらし、軌道修正の機会を奪ったのではないでしょうか。新型インフルエンザ騒動をめぐる厚労省の迷走の真相については、将来の検証を待つしかありませんが、政府、メディア、学者が一体となって暴走する姿は、戦前の我が国を彷彿させます。

○水際対策

 では、水際対策について考えてみましょう。前回も触れましたが、水際対策が何の効果もなかったことは明らかです。大量の労働力を投入し、旅行者を強制隔離までして、見つけることができたのはわずか4人です。しかも、大阪府立高校のグループを隔離した5月8日には、すでに神戸で感染が始まっていました。

 これは、川の水を浄化するために、水源池から流れ出る水を、集落総出で「ざる」ですくい続けているようなものです。一生懸命やりましたが、引っかかったのは砂4粒だけ。昨今の状況を見るに、「ざる」をすり抜けたか、別の流れから運ばれたか下流で見つかった砂が何百粒に達しています。この状況で、「ざるすくい」が一定の効果を上げたという人はいないでしょう。

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