日経メディカルのロゴ画像

医療費削減政策を考える 第2回
危険にさらされる患者たち
上昌広(東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門准教授)

2009/05/12

※今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media)4月22日発行の記事(第28回 医療費削減政策を考える 第一回 危険にさらされる患者たち)をMRIC用に加筆修正し転載させていただきました。

【Libby Zion事件:ニューヨークにおける患者安全対策の歴史的転換点】

 1984年、ニューヨークの病院で、Libby Zionという18歳の女子大生が医療事故で亡くなりました。彼女はフェネルジンという抗うつ剤を飲んでいましたが、発熱、ふるえ、脱水などのために両親に連れられ、救急外来を受診しました。

 担当した医師達はウイルス症候群と考えましたが、熱と強い興奮状態で暴れていたため、複数の治療薬とともにメペリジンも処方しました。メペリジンは鎮痛薬で、鎮静作用もあります。当初は治療が効いたようでしたが、早朝6:30に心肺停止となり死亡しました。

 はっきりした事実がわからず議論となったのは、Libbyがフェネルジンを飲んでいることや不法な薬物(特にコカイン)を使用したことを、担当となった研修医に告げなかったのではないかという点と、研修医がこれらの薬の相互作用を知っていたか否かという点です。実は、フェネルジンは、コカインとも、メペリジンとも相互作用が起きるため、併用してはいけないとされています。

 父親のSidney Zion氏は元検察官で、ニューヨーク市の有名な新聞コラムニストでした。彼は、病院に対して民事訴訟を起こし、大陪審に刑事事件として起訴するか検討するよう働きかけました。

 1986年、大陪審は様々な議論の末、不起訴を決定したものの、薬のレファレンスシステム(現在は、薬剤師が夜間・休日も病棟ごとに交代制で常駐し、薬の量や併用などに関する医師からの質問に答える体制となっています)、コメディカルの人数、研修医の勤務時間などについて、病院体制に問題があると報告しました。

 Libbyが入院した際の担当医は、そのとき既に18時間以上、働きっぱなしの状態だったのです。1995年、民事訴訟では、コカインによる死亡という主張も、誤投薬による死亡という主張も受け入れられず、Libbyが医師にコカインや処方薬(フェネルジン)を飲んでいることを告げなかったことと、医師達がメペリジンを処方したことについて、非難が集中しました。解剖結果は急性肺炎で、検死局(MedicalExaminer)は、死因は両側の気管支肺炎であると報告しています。

 Libbyの死亡から5年後の1989年、ニューヨーク州は、患者の安全のために(医師の労働環境改善のためではありません)研修医の勤務時間を制限することを決めました。2億ドルの予算を投入し、患者安全のため、研修医の代わりに採血、点滴ルート確保、患者搬送などを行うコメディカルを増員し、医師の勤務時間を減らすことを病院に求めました。2001年には、この考え方が全米に受け入れられました(the Patient and Physician Safety and Protection Act)。

 しかし、このルールがあまり守られていないことが、長い間、議論されてきました。実は医師の勤務時間削減には、コメディカル増員のため経費が増える、同じ研修医が同じ患者を夜中まで診られなくなる、といった反対意見も多かったのですが、それでも「患者を危険にさらしている(Public Advocate for the City of NewYork)」「市民の命でルーレットゲームをしている(New York Daily News)」といった声のほうが強く、睡眠不足の医師に診療される患者の恐怖物語が相次いで報道されました。

 1999年、当直明けの医師が運転中に交通事故で亡くなる事件が起き、患者の安全のために医師の勤務時間短縮を求める声はさらに高まり、New York PostやNewsdayなどの紙面を飾りました。

 これは米国の話ですが、日本の状況はもっと深刻です。米国では若い研修医が問題になりましたが、日本では、すべての年齢層の医師が同じ問題を抱えています。40歳代では20歳代よりも注意力は落ちており、睡眠不足の状態での注意力は更に低下します。

この記事を読んでいる人におすすめ