日経メディカルのロゴ画像

異状死議連にお答えする
中澤堅次(済生会宇都宮病院院長)

2009/03/23

なかざわ けんじ氏○1967年慶應大医学部卒業。2004年より済生会宇都宮病院院長兼看護専門学校長。現在、慶應大医学部内科学教室客員教授、NPO法人医療制度研究会理事長。

■ まずはじめにお詫びを

 話題の医療事故調査委員会異状死議員連盟との連想で、論点を異状死と事故調査に結びつけ議論したことが反論を招いたようです。(2009.3.11「後出しじゃんけんを法律で認める国」

 事故調の議論は医療界を分裂させ、厚労省との間にも不信感が増幅され、何よりも重要な遺族の方々とも対立関係になってしまいました。医療に於ける死の問題は、医療者にとって非常に関連が強く、かつ誤解を解消できない微妙な問題が随所にあって、つい過敏になってしまいました。

 また、厚生局に所管を置くと誤解したのは、事故調が出来ればこれに代行させるという記事を新聞で読んだものでしたが、勉強会の演者のコメントだったとわかり、お詫びいたしします。是非事故調とは関連が無いことをきっぱり言明して活動を始められるようにお願いします。

■ 異状死に関連して

 仰せのとおり異状死という言葉は定義が難しい。異状死の反対は正常死であり、正常死は定義が難しいから、異状死という定義も難しいのだと思います。異状死の反対を自然死と定義されていますが、これも無理があり行き倒れを異状死とすれば、野外で起きた突然の心筋梗塞での死亡は病死であり、自然死に含まれることになります。線引きはもともと難しいのだと思います。

 相撲部屋の事件に沿うのであれば犯罪死とはっきり定義し、犯罪死を見逃さないための議連であれば分らないことはないと思います。それが検死であり、その結果犯罪が疑われてから法医学的なアプローチが登場するのではないかと私は思っています。このあたりも明確に犯罪死が対象であると定義をお願いしたいと思います。

■ 医療と異状死の関係について

 医の理念は生命の存続と苦痛の軽減であり、病に苦しみ悩む人であれば、犯罪者と正行の人を区別する考えはもともとありません。人体の知識があり、生命が失われる現場にいるという状況で、やり手がいないからやむを得ず協力しているという感覚です。

 閻魔様は人間社会の存続に必要で、お釈迦様は苦しみをもつ人間にとっての救いです。閻魔様に仕えても、お釈迦様に仕えても同じように意味のあることですが、きれいごとを言うつもりはありませんが、仕える者として見れば、持ち物も考え方も違うと見る必要があるのです。

 簡単に区別出来るものであればその差は出ませんが、精密に区別を要求され、見逃しは許さないとなると、まったく方向性の異なる勉強と技術が必要となり、責任を追及されれば役割を降りるしかないのではないかと思います。

 これが検死と医療との関係に関する答えです。犯罪の捜査であれば医師でなくても教育により検死の専門家を養成することはできると思います。

この記事を読んでいる人におすすめ