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医療の危機(下):社会システム間の齟齬
問われる統治機構との接点、「無理な規範」医学発展の阻害も
小松秀樹(虎の門病院泌尿器科)

2009/03/21

こまつ ひでき氏○1974年東大医学部卒業。虎の門病院泌尿器科部長。著書に『医療崩壊「立ち去り型サボタージュ」とは何か』『医療の限界』がある。

※本稿は、日刊工業新聞(2月18日付)からの転載です。

 04年12月17日、福島県内の女性が、帝王切開手術時に、大量出血で死亡した。医師が逮捕・起訴され、医療界に衝撃をもたらした。08年8月、福島地方裁判所で無罪の判決が言い渡された。検察が控訴を断念したためこの判決が確定した。

 判決は、死因が癒着胎盤剥離による大量出血にあるとした。また、胎盤剥離を継続すると、生命に危機が及ぶ恐れがあったことを予見できたし、胎盤剥離を中止して子宮摘出を実施していれば結果回避可能性があったと判断した。その上で、臨床経験豊富な医師たちの証言から、癒着胎盤に関する医療現場の医学的準則を以下のとおりであるとした。

●医学的準則

 「開腹前、あるいは開腹後一見して、穿通胎盤や程度の重い嵌入胎盤と診断できたものについては、胎盤を剥離せずに子宮を摘出する。用手剥離を開始した後は、出血していても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでも止血できないときに子宮を摘出する。」

 この準則により、胎盤剥離を中止する義務はなかったとして医師は無罪になった。この判決は、医療現場の実情を重視した点で画期的だが、医療は準則で動いているわけではない。

 私自身、穿通胎盤患者の子宮を摘除したことがある。当時の産科医たちは判決に示された準則とは異なる行動をとった。山梨県のある産科医院で帝王切開が行われた。胎児を出し、胎盤を摘除した。膀胱壁に及ぶ穿通胎盤であり、膀胱が大きく開いた。

 子宮に限定した問題ではなかったので、どうしたらよいのか分からないまま、ガーゼを詰め込んで止血した。山梨医科大学に搬送され緊急手術になったが、やはり、そのまま創を閉じた。

 私は学会で山梨県内にいなかった。山梨に戻った後、相談を受けた。膀胱鏡検査で、膀胱後壁が大きく欠損しており、直接子宮内腔が観察された。尿管口(腎から膀胱に尿を運ぶ管の膀胱への出口)ぎりぎりまで膀胱壁がなくなっていた。

 三度目の手術を私が執刀した。手術前に文献を調べ、手術の展開を想像した。外国のマイナーな雑誌に似た症例の報告があったが、記述はひどく簡素だった。左右尿管を剥離切断。尿管口を含めて膀胱壁を正常部分で切離し、前壁の欠損した子宮に膀胱の一部をつけて摘除した。左右の尿管は膀胱に吻合した。膀胱後壁を縫合閉鎖した。萎縮膀胱になることが危惧されたが、後遺症なしに回復した。

 明らかな穿通胎盤だったにも関わらず、最初の2回の手術では、子宮を摘除しなかった。この対応は結果からみれば適切だった。

 医療と司法では考え方が異なる。司法は過去の規範で未来をしばるが、医療は未来に向かって変化しつづける。医学論文における正しさは研究の対象と方法に依存している。仮説的であり、暫定的である。この故に議論や研究が続く。新たな知見が加わり、進歩がある。医療現場では、論文や前例は参考の一つにすぎない。難しい症例は常に新しい。厳密な認識をもとに頭の中に再構成した病状と、持っている方法を、想像力で結びつけることが優先される。考え方の違いをどう理解するか。

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