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医療崩壊のシナリオ
医賠責保険の破綻、そして医師がいなくなる
上昌広(東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門)

2009/01/21

 今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM(Japan Mail Media)1月14日発行の記事(メディアが報道しない東京都立墨東病院事件の背景 第五回)をMRIC用に改訂し転載させていただきました。

 過去4回にわたって東京都立墨東病院妊婦受け入れ不能事件の背景について説明してきました。これまでの配信で、医療訴訟の濫発が産科医の萎縮を招いていると主張してきました。

 この主張は、医療従事者以外の方々にとっては、医師の責任逃れのようにも聞こえるでしょう。二階経産大臣ではありませんが、「医療者は甘えている。たるんでいる」とお感じになる方もおられると思います。確かに、医療界が自律し、改善しなければならない点は多々あります。

 しかしながら実際、医療者と患者のコミュニケーションが乱れ医療訴訟が濫発されることは、医療を崩壊させる最大の危険因子なのです。この問題を解決するには、医療者だけの努力では不可能で、医療界と国民の共同歩調が必要です。そのためには、医療に関する情報開示を徹底させることが必須です。

 本来、この仕事はアカデミズムとジャーナリズムの責務ですが、これまで大学医学部に在籍する医師・研究者が、この問題を社会に十分に発信してきませんでした。自戒の念も込め、これから数回にわたり、医療と訴訟の問題について解説したいと考えます。

●医療訴訟数の増加

 近年、医療訴訟は急増しています。例えば、1997年から2006年の10年間に、新たに提起された医療訴訟数は597件から912件へ、1.5倍に増加しています(井上清成著、『よくわかる医療訴訟』、毎日コミュニケーションズ)。このような変化を受けて、2001年には東京地裁と大阪地裁に医療訴訟を集中的に担当する医療集中部が設立され、その後、千葉、名古屋、福岡にも設置されています。

 これは医療訴訟の増加に対する裁判所の対応ですが、他の司法専門家、例えば弁護士や検事にも医療に関係する人が増えてきています。「医師誘発需要学説」(医者が増えるほど、医療費が増える)ではありませんが、司法関係者、特に医療に関係する司法関係者が増加することが、医療訴訟の増加に拍車をかけることを心配する学者もいます。

●産科医の約半数が一生の間に1回は訴訟に巻き込まれる

 今回は、産科の医療訴訟を対象に議論しましょう。まず、産科における医療訴訟の実数は、どの程度でしょうか。最高裁のHPによれば、平成17-19年の産婦人科における1年間の既済訴訟事件数の平均は139件です。産婦人科医の数は9,500人程度ですから、100人の産婦人科医が1年間働くあいだに1.5件の訴訟が発生することになります。

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