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メディアが報道しない東京都立墨東病院事件の背景
妊婦と産科医の不安が解消されなければ、タライ回しはなくならない。
上 昌広(東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門)

2009/01/05

かみ まさひろ氏○1993年東大医学部卒業。99年東大大学院医学系研究科修了。虎の門病院、国立がんセンター中央病院を経て2005年10月より現職。

 今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM(Japan Mail Media)12月17日発行の記事(メディアが報道しない東京都立墨東病院事件の背景 第四回)をMRIC用に改訂し転載させていただきました。

 本年10月におこった東京都立墨東病院 妊婦搬送拒否事件をきっかけに、都市部における救急患者搬送体制の脆弱性についての議論が進んでいます。その後、杏林大学事件札幌未熟児死亡事件が報道され、この問題が深刻であることは国民的なコンセンサスになりました。

 過去3回の配信で、東京都における妊婦搬送拒否事件は、東京都内の医師の絶対数不足や財源不足が主因ではなく、1980年代に始まった医療の国家統制が医療現場の自己調整能力を損ねたためであると主張してきました。

 1980年代、西側先進国では新保守主義が支持され、各国は「小さな政府」を目指し、行財政改革を進めました。中曽根政権下のわが国では、国鉄や電電公社の民営化に加え、医療費の抑制に努めました。

 この一環として国民皆保険制度が見直され、サラリーマンの負担増などが決まると同時に、医療の供給量を抑制するため、医学部定員、および病床数が削減されました。この政策は1980年代以降、舛添大臣登場まで抜本的に見直されませんでした。

 このため、1990年代以降に人口が急増した東京都の中央線沿線などの地域では、著しい医療供給不足に陥りました。この結果、東京都は全体として医師・病院は充足しているものの、著しい偏在が生じました。

 もしも、1980年代に医師数や病床数が規制されていなければ、医療需要の増えた地域には医療機関や大学病院が進出し、地元の医療を担ったことでしょう。事実、高度成長期に発展した東急線沿線や東武線沿線には、1960-70年代に昭和大学、東邦大学、帝京大学、日本大学、板橋中央総合病院グループなどが進出しています。

 わが国で1990年代以降に人口が急増した地域は東京だけです。つまり、このような地域では、大きな人口規模を抱えながら、医療の供給量が不足していることになります。このように考えれば、今回の事件は「東京だから起こった事件」と考えることが可能です。

 では、何故、この時期に東京の救急医療搬送制度が破綻したのでしょうか。前置きが長くなりましたは、今回は、東京都内妊婦搬送拒否事件の直接のきっかけについて紹介し、その対策を議論したいと考えます。

なぜ、妊婦の診療が拒否されるか?

 墨東病院事件、杏林大学事件、札幌事件の妊婦に共通して言えることは、頭痛や腹痛が生じるまでは、普通の経過を辿っていたことです。このような妊婦が急変する訳ですから、地元の開業医は一刻も早く高度医療機関へ搬送しようと躍起になります。これは極めて合理的な行動です。

 ところで、この状況は高度医療機関サイドには、どのように映るでしょうか。実は、2006年2月の福島県立大野病院の産科医師逮捕事件以降、地域の産科中核施設には中等症の患者が殺到しています。

 例えば、2007年11月に開催された現場からの医療改革推進協議会第二回シンポジウムで北里大学産科・婦人科の海野信也教授は、福島県立大野病院事件で話題になった前置胎盤の妊婦受入数が2005年の15件から2006年には31件に倍増したことを報告しています。この傾向は東京大学や自治医科大学でも同様であり、いずれの施設でも前年度比2-3倍に増加しています。

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