日経メディカルのロゴ画像

「医療水準論」の新展開と影響
福島県立大野病院事件地裁判決についての感想
竹内治(法務博士)

2008/09/04

2004年東大法学部卒。2007年早稲田大学大学院法務研究科修了(法務博士)。同研究科在学中に和田仁孝教授に師事し、医療紛争処理について学ぶ。

1、「医療水準論」について
(1)「為すべきことを為した者は、生じた結果について非難されるべきではない」、逆に言えば、「為すべきことを為さなかった者は、生じた結果について非難されるべき」という理屈は、ごく常識的なものと言える。

 過失とは、結果を予見でき、回避することもできたのに、不注意にもこれを予見せず、または回避しなかったことを言う。これを極端に解釈すると、およそ危険性のある行為は一切許されず、危険な行為をして結果が生じたなら常にその責任を負わされるということになってしまい、不都合である。そこで、「為すべきことを為した」と評価できる場合、過失を否定するという解釈論を採るのが正当である。

 では、何をもって「為すべきことを為した」と評価するのか。過失犯の成否には、常にこの解釈の微妙さがつきまとう。そして、この微妙な解釈論の医療裁判バージョンが「医療水準論」である。

(2)本判決は、医師の注意義務違反を「医療水準」(本判決に曰く『刑罰を科す基準となり得る医学的準則』)に照らして判断するものであり、民事、刑事を通じて従来から採られてきた枠組みどおりのものということができる。

 本判決の特徴は、「医療水準」を『当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の、一般性あるいは通有性を具備したもの』と具体化した点にある。

 本判決の示したこの「医療水準」は、医療者からも、法律家からも、そして患者、一般国民からも、「理解可能」なラインを示しているのではないか。

(3)「医療水準論」には、「あるべき医療」を想定し、その実践を医師の法的責任と把握して医師に高度の注意義務を課していくものから、具体的場面において個々の医師にいかなる行為を期待できるかを現実的に検証して非難可能性を問疑していくものまで、グラデーションがある。

 このグラデーションはつまり、「為すべきを為した」とはどのような意味なのかについての見解の差異であり、さらにいえば、個々の医師に対してどれくらいの期待をしているか、期待の大きさの差異でもある。

 判例上も「医療水準」をめぐって変遷があることは、周知の事実である。

 例えば、ペルカミンS事件の最高裁判決(麻酔剤注入後の血圧測定について能書きには2分間隔で為すべき旨が記載されているところ、「一般開業医の常識」に従い5分間隔で測定した医師の責任が問われた民事事件。最高裁平成8年1月23日第三小法廷判決)は『医療水準は、医師の注意義務の基準となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない』と述べる。

この記事を読んでいる人におすすめ