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女子中学生に処方されたホスリボンの謎

2016/11/16
富野 浩充

 「なるほど。鳥取城攻めのときと同じだな」。全て理解した、というようなはっきりとした声で入江双葉が言った。

 「……城攻めって、これと何がどう関係あるんですか」。高城亜紀は、先輩薬剤師のひと言に、改めて薬剤部の電子カルテを見る。

 「鳥取城攻めって、織田信長の命で羽柴秀吉が吉川経家を討った戦なんだ。織田が天下統一に向けて各地を制圧していた頃の毛利との戦いで、織田はとにかく強くて、兵力差もあるし、経家は籠城したんだ。一方、自軍に損害を出したくない秀吉は、城の周りをぐるっと囲んで、城に物資が届かないようにしたんだ。いわゆる兵糧攻めだな」

 いきなり始まった双葉の戦国時代の話に、亜紀は面食らった。

 「秀吉軍は、合戦前に米を買い占めたり、近くの村を襲って住人を城に追い込んだりして、兵糧の減りを早めるようにもしたらしいですね」。
 ああ、その話か、と言わんばかりに合いの手を入れた同僚薬剤師の桧山健二にも亜紀はびっくりして、なんでそんなことを知ってるの、と健二を見つめてしまう。

 「そう、それで、毛利軍はかなりの飢餓状態になったらしいんだ」。双葉はうなずきながら、流れるように説明を続けた。

検査値は正常、でもリンを補充?

 話は1時間ほどさかのぼる。

 その日、亜紀は調剤室業務が割り当てられていて、朝から延々と処方箋をさばく1日を送っていた。「日本語では『労働』という単語に区別はないけれど、英語にはworkとlabor、2つの『労働』がある」と英語教師になった同級生が言っていたことを思い出して、調剤室の労働ってlabor寄りだよなあ、なんて考えながら調剤をしていた。

 積まれていく調剤カゴをどれだけさばいただろうか。まだまだ終わりが見えない時間帯だった。その処方箋を見て、亜紀はしばらく思考が止まった。

 「……ホスリボンって、何?」

 そこには、今まで見たことのない薬が書かれていた。新薬の採用ってあったっけ、と、調剤室に貼ってある直近の採用薬一覧を見てみたが、ホスリボンの名前は載っていない。とすると、以前から採用されていたのか。

 とりあえず調剤を済ませるか、と、亜紀は調剤棚の隅にある在庫場所一覧のファイルを見て、調剤室からやや離れた在庫棚に行き、9包分3、3日分、計27包を取りそろえた。後はもう1剤、アリナミンF……。

 調剤を終えた亜紀は、次に情報系の端末からホスリボンの添付文書を呼び出した。適応は「低リン血症」となっている。リンとして1日当たり20~40mg/kgを目安、と書いてあり、処方箋に載っている患者の体重は31kgだった。ホスリボンの1包がリン100mgだから、30mg/kg/day弱の投与になる。うん、投与量は問題ない。

 14歳、女性で152cm、31kgか。身長は亜紀とそんなに変わらないけど、体重が圧倒的に少ない。中学生は痩せてていいなあ、でもこれ痩せ過ぎだよね。きっとバランス崩しちゃってリンも減っちゃったのかな、と考えながら、検査値を見るために電子カルテにIDを打ち込んだ。

 「あ、れ?」

 リンの値は5.5mg/dLで、標準値に収まっている。いや、むしろ高い?小児は高くていいんだっけ? にしても、低リン血症ではないだろう。

 「どうしたー?」。亜紀が電子カルテを開いて固まっているのを見て、通り掛かった先輩薬剤師の森田雄一郎が声を掛けてきた。

 「ちょっと聞いていいですか。I-Pってのがリンですよね。ヨウ素じゃないですよね」
 「リンだよ。ヨウ素って血中濃度測れるんだっけ」
 「知らないです」
 おいおいー、と突っ込みながら雄一郎は笑ってカルテをのぞき込んだ。リンの値はそれほど低くないのに、リン製剤が処方されている、と亜紀は状況をかいつまんで説明した。

 「なるほどなー。単純に考えれば必要ないよなー」
 「聞いた方がいいですかね?」
 疑義照会をかけようかと相談していると、健二が調剤カゴを持ったまま後ろからのぞき込んできた。今日はなんだか髪の毛が変に跳ねている。

 「入院までの経過は見たのか?」
 「見たよ。摂食障害だって。3カ月前に37kgあった体重が6kg減で、だんだん食べなくなって、ここ1週間はまともに食べてないみたい」
 そう言いながら亜紀は、健二の跳ねた髪をいじった。押さえ付けても、ぴん、と戻ってしまう。

 「それで、点滴も何か始めるんだろ。……ビーフリードか」
 健二は、亜紀のことは気にも留めずにカルテをスクロールさせて、点滴と食事のオーダーを確認した。
 「これは多分……」

 「おいそこ、いつまで固まってんだ!」
 健二が説明を始めようとしたところで、監査をしていた堀田さんが怒声を上げた。ぱっと顔を上げて言い返そうとする健二を見て、亜紀はとっさに、健二のケーシーの裾を引っ張った。

 「すみません。ちょっと疑義かけるか悩んでましてー」
 雄一郎がフォローに入りつつ調剤に戻っていった。調剤のピーク時に手も足も止めていると注意されることがあるが、堀田さんはこちらの事情もかまわず怒鳴ることが多く、最近は薬剤部員たちも腫れ物に触るような感じで接している。それでも、健二は空気を読まずに突っ掛かっていくことがあって、調剤室をピリピリさせることが多々あった。

 「……悪い。後で説明するけど、それ、そのまま出して大丈夫だから」。健二は少し落ち着いて亜紀にこう伝えたが、いらっとしている顔は隠すことができていない。

 「ありがと。健二もちょっと鏡見て髪の毛整えてきなよ」。健二を落ち着かせようとして、亜紀は言った。

著者プロフィール

とみの ひろみつ氏 東京理科大学薬学部卒。天然物化学専門だったが、研究に挫折して薬剤師として薬局に勤務。その後、薬局勤務を続けながら、ウェブクリエーター、ライターなどとして活動。2004年より千葉県の総合病院薬剤部に勤務し、現在は関連病院に赴任。執筆活動も継続中。趣味は音楽ゲームとプロ野球観戦。

連載の紹介

富野浩充の「当直室からこんばんは」
病院薬剤師として勤務する富野氏が、クスッとできて、時にホロリとし、たまにムカッとしてしまう病院業務の日常を赤裸々に綴ります。薬のことにはほとんど触れない個人のホームページはこちら登場人物の名前は全て架空のものです。内容は事実を元に再構成したフィクションです。

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