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診療内容を磨くためのコミュニケーション技術
症例プレゼンテーションの良書

2014/10/15
田中和豊

 前回まで3回にわたって、皮膚診療の良書を紹介した。そして、これまでの16回で「問診と身体診察」についての良書を紹介してきた。今回は「問診と身体診察」の後にすることになる「プレゼンテーション」についての良書を紹介したいと思う。同じ「プレゼンテーション」という用語でも、ここでは学会発表などの「演題プレゼンテーション」ではなく、「症例プレゼンテーション」に限定して考えてみたい。実はこの「症例プレゼンテーション」、医学教育の中で系統的に習う機会があまりないため、日本では我流がまかり通っている。

 「腹痛の人なんですけど~」と突然症状で始まる。患者の年齢と性別もわからない。黙って現病歴を聞いていると、その後に既往歴も何もなく、いきなり検査所見や画像所見が来たりする。かと思うと、「お腹は柔らかくて、嘔吐・下痢もありません。」と突然身体診察が出てきて、その身体所見の中に本来は病歴で聞くはずの「嘔吐・下痢」という随伴症状が出現する! こんな乱雑でまとまりのない「プレゼンテーション」を聞くくらいなら、患者を自分で診察し直した方が早いのではないかと思ってしまう。

 それではここで基本に戻って、なぜ我々医師は症例をプレゼンテーションするのか考えてみたい。外来や入院患者を上級医へプレゼンテーションする、自分の診療患者を他科の医師にプレゼンテーションする、また、カンファレンスで症例プレゼンテーションをするなど、医師の業務には患者のプレゼンテーションが付きまとう。このように事あるたびに患者のプレゼンテーションをしなければならないのは一体なぜなのであろうか?

 医師の世界で「症例プレゼンテーション」を頻回に行う理由は、筆者は患者診療情報を共有し、かつ診療が適正に行われているかどうか確認するためであると考えている。診療行為というのは、患者と医師の1対1の間で行われる。だから、医師がその診療行為を誰かに伝達しなければ、密室で行われる作業と同じことになってしまう。密室であれば、そこで行われた診療行為が適切だったか否かを第三者が判定することはできない。医師は自分の行った診療行為が適切だったかについて検討するには、自分が診療した患者の「症例プレゼンテーション」を第三者に公開するよりほかに方法はないのだ。

 残念ながらこの「症例プレゼンテーション」は日本ではあまり重要視されていない。しかし、アメリカでは医学生時代からこの「症例プレゼンテーション」を徹底的に身に付けることが医師の職務の第一段階であるとされている。アメリカでは、エコー、内視鏡やカテーテル検査を修得する前に医師なら誰もがこの「症例プレゼンテーション」を徹底的に習得することが義務づけられている。この理由を筆者なりに考えると、それは専門職としての合理的なコミュニケーション手段を身に付けるためだと思われる。職業に医師を選べば、その後医師集団という専門職の世界で業務を遂行しなくてはならない。その医師集団の中で職務を円滑に行うためには、効率的なコミュニケーションの手段として、症例をプレゼンテーションする技術が必要なのだ。これを身につけなければ広く社会に受け入れられる普遍的な医療行為を行うことはできない。言い換えると、医師集団の中で合理的なコミュニケーションが取れないと、気づかないうちに自分の診療が独善的な医療になってしまう危険性がある。

著者プロフィール

田中和豊(福岡県済生会福岡総合病院 総合診療部主任部長・臨床教育部部長)●たなか かずとよ氏。慶應大理工学部を卒業後、医師を目指す。94年筑波大医学専門学群卒業。横須賀米海軍病院、聖路加国際病院、アルバートアインシュタイン医科大、ベス・イスラエル病院などを経て、2012年より現職。

連載の紹介

医学書ソムリエ
良い医学書は良い海図のように、臨床の大海原の航海を確実に楽にしてくれるもの。しかし、数多く出版される医学書のどれを読んだらよいのでしょうか。本連載では、筆者の田中和豊氏が、忙しいあなたの代わりに様々な医学書に目を通し、「これは良い」と思ったものだけを紹介します。

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