
(イラスト:遊佐敦子)
この2年間、僕は『指導医』というよりも、君らの指南役として接してきたような気がするな。指南役って本来は謙(へりくだ)った言い方なんだよな。わかるだろう?
「はい、なんとなく」
偉い人、たとえば良家のご子息の教育指導や戦国時代のお殿様のお世継ぎの帝王学を施す時に使われる。どうして僕が指南役なのか、わかるかい?
「どうしてですか?」
研修医が偉いからだよ。『研修医様』だからさ。
その意味はいずれわかるようになるよ。でも、楽しみながら指導していたつもりだけどね。
「僕らも先生と出逢えて、よかったです」
だって、ありきたりの総論では君たちの心には響かないだろう。いつも全力で患者と向き合う、こんな医者もいるんだということを君たちに知らせたかった。
理想論や総論には賛成でも、それを実践することは決して簡単ではない。だからこそ本音で語り合ってきたし、それを実践する僕の背中を見せてきたつもりだ。それができることが当たり前と思っていても、すべての医師がそれを実践できているわけではないのだ。
「そうですよね。各科の先生は皆いい先生でしたけど、西野先生みたいな先生はいなかったですよ」
僕らの頃の研修医はノイヘレン(Neuherrn:新米、新人)と呼ばれて、遣い走りの丁稚奉公のような扱いだった。女性もノイヘレンと呼ばれていたな。本来ならNeuDamenなはずだけどね。これも和製ドイツ語かなのもしれないね。
だから、今の君たちを見ていると、綱吉公の時代の『お犬様』のように崇め奉られているような気がしてならない。腫れ物に触れるような感じかな。医師不足という時代がそれを助長しているのだとは思うけど。
だって、大学を卒業したての研修医がいきなり高給取りになって『先生』と呼ばれ、周りから『ヨイショ』される。医師としては何もできないけど、指導医が手とり足とり教育する。僕ら『指導医』がかつて経験した境遇とは違う。それに違和感を持たない医師はいないだろう。もしかしたら、それ以上に病院の職員が感じているかもしれない。その違和感は、君たちが指導医になった時にきっと実感できると思う。
『ゆとり世代』の君たちが、社会人となっても甘やかされて育った先にある将来を考えた時に、僕は一抹の不安を感じずにはいられない。だから、余計なことかもしれないけど、お節介を言わざるを得ないのさ。君たちに厳しいと思われようが、嫌われようが。
でも、その一方でほかのどの指導医よりも、君たちに時間をかけて愛情を持って熱く指導をしていることも事実だ。それは心ある諸君なら、実感していてくれていると思うが。どうだ?
「Sure!(もちろん)」
君たちは2年の初期研修期間は終えたが、それでもまだ医道の緒に就いたばかりだ。僕が君たちに示してきたのは、総論としての医師の心構えだ。今の君たちの心は純粋だから、僕の言葉を受け止めてくれるだろう。でも同じことを5年目、10年目の医師に言っても、素直に聞いてはくれないはずだ。その頃にはきっと、自分の考えやスタイルができ上がっているから。
今の時期だからこそ、パターナリズムを承知の上で、僕は君たちに語りかけるのだ。スリーパー効果(sleeper effect:信頼性の低い人の説得の効果が、時間が経つにつれて上がっていくという現象)を期待してね。
「先生、お世話になりました。ところで、今さらながらですが、『医道』ってどういう意味ですか?」
言ってなかったっけ? それは僕の造語なんだ。発音してごらん。
「いどう」
違うよ。“いのみち”だよ。言ってごらん。
「いのみち」
もう一度!
「えー、いのみち」
命(いのち)に聞こえないかい? 医学、医術、仁術、医療、そして社会と人生すべてに関わってくる医療の世界で生きる道。そして我々が守らなければならない大切な命。それをかけて医道― いのみち ―さ。