
(イラスト:遊佐淳子)
「よかったな。君の誠意が通じたんだよ」(これはとある研修医との話だ。仮に秋山君としておこう)
剖検。患者が亡くなられた時に、我々は患者のご遺族に「解剖させてください」とお願いすることがある。生前の病態がどのようなものであったかを確認させていただき、治療内容が正しいものであったかを確認し、勉強させていただくためのものだ。
膵臓癌で亡くなられた患者の娘さんに、『剖検』のご提案をさせていただいた時に、思いもかけない返事をいただいた。
ご愁傷さまでした。でも、あの時無理してでも外泊してきてよかったですね。
「そうですね。母も喜んでいました。東京の兄のところで暮らしていた母が、福島に帰りたいと言ってこちらに来たのに、結局実家に帰ることができたのはあの一度きりでしたから」
実は、誠に申し上げにくいことなのですが、ご尊母を『剖検』として解剖をさせていただけないかと思い、ご提案させていただきます。
つい先ほどお母さんが亡くなられたばかりの失意の中で、このようなことを申し上げるのは、僕自身も心が重いです。もちろん、これは任意のお願いであって、もし、不快に思われるのでしたら、お断りしていただいて結構です。
このような『剖検』のご提案は、亡くなられたすべての患者さんのご遺族の方に申し上げるわけではありません。ご尊母のような膵臓がんは現在の医学をもってしても、処し難い病気のひとつです。ですから、解剖させていただくことで、病気の進展度合いを我々が勉強させていただき、今後の医学の発展のため役立たせていただくことにご理解をいただけないでしょうかというお伺いなのです。そして、将来、同じような病気の患者さんを診療する時に、役立たせていただけないでしょうかというお願いでもあります。
もうひとつ、これはできの悪い医師の詭弁になるかもしれませんが、生前に病気の治療をすることができなかっただけに、せめてご帰宅前に、病気を取り除き、体を少し軽くして、戻られると考えていただけるのではないでしょうか? というご提案でもあります。
気持ちの整理もついていない中でのお話なので、戸惑われていらっしゃるかもしれません。他のご家族の方ともご相談の上、後ほどお返事をください。我々に気を使う必要は一切ございません。率直に医学のためとのご理解と、故人の病気の手当てとお考えいただき、ご判断ください。
「わかりました。実は生前、母が申しておりました。『もう、私も先は長くない。研修医の秋山先生は足繁く病室に来てくれて、話し相手になってくれた。とてもうれしかった。若い秋山先生に、これからいいお医者さんになってほしい。だから、私が死んだら解剖に供して、先生に勉強してもらってほしい』と。是非、母を解剖に供してください」
えっ?あ、はい。ありがとうございます。でも、息子さん、お兄さんにご相談なさらなくてもよろしいのですか?
「はい、母が決めていたことですから」
わかりました。ありがとうございます。秋山君、君からもお礼を申し上げなさい。
思いもよらぬ返事をいただき、一瞬たじろいでしまった。娘さんにお礼を申し上げながら、後ろを振り返ると、研修医の秋山先生は口を真一文字に結んで、肩を小さく震わせていた。そして、無言のまま娘さんに最敬礼した。