瀕死の溺水者の蘇生に関わったことがある。
「なんか先生、そういうの多くないですか?」
自分で引き寄せているわけではない。たまたま遭遇するだけだから仕方ないよ。
医師1年目の夏の週末に、同僚の医師と看護婦で旭川から西に位置する留萌に海水浴に行った。北海道の七月は海水浴に適している気温ではなかったかもしれない。泳ぎが苦手な僕は日光浴をしていた。ふと気づくと波打ち際が騒がしい。
まさか溺れたのかな? 「テレビじゃあるまいし、そんなことあるはずないよ」
皆、軽口をたたいていた。しかし、事態は思った以上に深刻だった。砂浜で『心肺蘇生』が始まったのだ。間違いなく溺水だった。
手伝おう! 僕が言った。「待てよ。(医師になって3カ月の)俺らじゃ、何もできないよ」
でも、このまま見ているわけにはいかないだろう? 僕はそう言いながら、既に走り出していた。同僚もすぐに一緒に付いて来てくれた。
学生の時から、「これから医師になろうとする医学生なのだから、救命の機会があれば必ずその処置に参加するように」と教わってきた。でも、テレビや小説じゃあるまいし、そんな場面が来るとは夢にも思わなかった。いざ実践となると膝が震えたよ。
ようやく点滴ができるようになっただけの駆け出しの新米医師に、救命の経験など当然あろうはずがない。しかし、実際には目の前に死にそうな人がいる。
「かっちゃん!」。仲間が呼びかけるが、応えはない。蘇生を行おうとしているのが全くの素人であるのはすぐに理解できた。青年は脱力していて、息もしていない。
溺水=死。そう考えざるを得ない状況だった。どれくらいの時間溺れていたのかもわからなかった。でも超急性期。若い男性であった。蘇生を諦める理由は見当たらない。逆に何もせずに立ち去ったら、僕の心には一生、後悔の念が居座るだろう。蘇生をしても助からないかもしれない。でも何もせずに助かるはずもない。
「(どこまでできるかわからないけど…)僕たちが代わります!」
まずは体位の変換。頭は砂浜の上を向いていた。脳への血流を確保するために、皆の力を借りて体位変換。頭を低い海の方に向けた。
さあ、心臓マッサージ。手が震えていた。意を決して胸骨を圧迫すると、口から海水が溢れ出した。肺の中はほとんどが海水で詰まっていたのだ。心臓マッサージを続けても、このままでは血液を酸素化することはできない。まずは肺の中の海水を出すのが先決。肺に空気が入るように、肺を押し海水を出す。押すたびに海水が喀出される。僕はその状況を皆に伝えながら、蘇生を続けた。
それを見て、まわりの野次馬たちが「そうじゃないだろう」「押し方が違うんじゃないのか」と好き勝手に言っている。素人がいい加減なことを言ってほしくないものだと思っていた。
「この人たちは医者です。勝手なことを言わないでください!」。看護師の一人が堪らず、大声で彼らの声を制したのだ。言ってくれるじゃあないか。心の中でそう思いながら、手は休まない。
まわりの人垣の中から「私も看護婦です。何かお手伝いできますか?」と言ってくれる方がいた。医師は4人、看護師も4人ほどいたので、「大丈夫です」と答えたが、その後もその方はすぐそばで待機していてくれた。
斜位に体位変換をしながら、左右の肺に溜まっている海水の喀出を促す。心臓マッサージも続けた。看護師に手足を上げてもらって、その後、バスタオルで付け根を縛ってもらった。頭への循環血流を優先させるために、末梢への送血を遮断するのだ。学生の時に習ったことがある。「いざという時」手足を一本縛るだけで、点滴一本分(500mL)ぐらいの効果はあるそうだ。
我々は代わる代わる、黙々と蘇生を続けた。
しばらくして、青年から「ふー」とため息が出た。
「助かるかもしれない!」。初めて顔を上げると、まわりは黒山の人だかりになっていた。
「救急車を呼んでください!」。それまで誰も救急車を呼ぶ手配をしていなかったのだ。慌てていたせいか、僕は「110番に電話してください!」と言ってしまった。
「119番ですよね」
…お願いします。
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著者プロフィール
西野徳之(総合南東北病院〔福島県郡山市〕消化器センター長)●にしの・のりゆき氏。1987年自治医科大学卒。旭川医科大学第三内科、利尻島国保中央病院院長、市立根室病院内科医長などを経て2000年10月より現職。

連載の紹介
Dr.西野の「良医となるための道標」
今の臨床研修カリキュラムに足りないもの。それは医師としての心構えや倫理観、患者との接し方を学ぶことではないか? 研修医指導に情熱を傾けてきた著者が、「医師としてのあるべき姿」を熱く語りかける、『良医となるための100の道標』(日経BP)。その一部をご紹介します。
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「患者を診るということは、家族とともに、患者の心とも向き合うこと。その不安、焦燥、葛藤、そして悲しみを共有することなのだ。その心を受けとめることが君にはできるかい?」 医療という大海原に飛び込んだ研修医に、親として、兄として、友として、本音で語りかける、良医となるための「100の金言集」。(西野徳之著、日経BP社、2800円税別)
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