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Dr.西野の「良医となるための道標」

思い出しても震えるハイムリッヒ

2014/07/21
西野徳之(総合南東北病院消化器センター長)

 ハイムリッヒHeimlich)。この処置をした経験はあるかい?

 「すいません。ハイムリッヒって、何でしたっけ?」

 ハイムリッヒは誤嚥で窒息になった患者を後ろから抱きかかえて、横隔膜のあたりで手首を握り、一瞬力を入れて胸腔内圧を急激に上昇させ、塞栓物を吐き出させる処置。学生の時に習わなかったかい?

 「はあ、なんとなく」

 それじゃあ、目の前に窒息の患者さんがいても治療はできないぞ! でもこれは超急性期の治療で、めったにお目にかかる病態ではないから、経験したことがないのは当然。逆に、知っていて、実践できれば、その場で救命することができる処置でもある。めったにない事例だけに、普段から練習することもない。我々の年代でも一度も経験のない医師がほとんどだよ。

 「そう言うからには、先生はあるんですね?」

 一度だけ。患者は愛娘だ。

 飴をなめていて、誤飲してしまった。家族で銀行に行っている時だった。冬の時期で、娘はかぜをひいて鼻がつまっていて、口呼吸をしていたために吸い込みやすかったようだ。

 息を吸い込んで呼吸が止まり、一瞬しゃっくりかなと思ったら、次の呼吸が出なかった。みるみる顔が赤くなり、苦悶の表情となったので、飴が気道に詰まったことを理解した。

 間違いなく『窒息』状態。

 『チアノーゼ(Cyanosis:血中の酸素不足で、皮膚の色が紫に変色すること)』があるかどうかとか、病態を考える猶予のある状態ではなく、覚知の段階で治療のゴールデン・タイム(Golden Time:有効時間)のカウント・ダウンがすでに始まっている、切羽詰まった状態だった。

 最初は喉に詰まらせただけかと思い、のどに指を入れて咽頭反射をさせた。だが、反射は出ても、まったく呼気が出なかった。12~13mm×7~8mm大のアメ玉。2歳になったばかりの体重10kg程度の女児なので、僕が喉頭を指で探るとかえって押し込んでしまうと思い、これはもうハイムリッヒしかないと思った。

 僕だって、ハイムリッヒの実践経験はない。ましてや幼児にどの程度の力をかければいいのかは皆目見当がつかない。どうすべきか迷ったが、躊躇していては『ハイポキシア(Hypoxia:低酸素血症)』になってしまう。やるしかない状況だった。

 でも、ほんの一瞬だが、愚かなことに怯んで救急車を呼ぶことも考えてしまった。救急病院は直線距離で500mほどの距離。救急車を呼んで、到着。それから搬送すると、最低でも20分はかかる。妻に車を運転させて、自分で病院へ搬送しても10分はかかるだろう。その間処置をしなければ、ハイポキシアで『ブレイン・ダメージ(Brain damage:低酸素脳症)』は残る。今すぐにこの場で処置をしなければならないことは、焦る気持の中でも論理的に十分理解できた。成功するしないは二の次。何もしないことほど愚かなことはない状況であった。

 わが子が手を差しのべて助けを乞う瞳を見つめて、助けられるだろうかという不安が頭をよぎりながらも、日和ってはだめだとすぐに自分を奮い立せた。たとえ娘の肋骨が折れようが、肝臓が破裂しようが、その後に手当てはできるはずだ。でも、今この瞬間に窒息を解除できなければ“その先”はない。

 ふー……。覚悟を決めた。1回で決めなければ、娘を失うことになりかねない『一世一代』の処置だった。

著者プロフィール

西野徳之(総合南東北病院〔福島県郡山市〕消化器センター長)●にしの・のりゆき氏。1987年自治医科大学卒。旭川医科大学第三内科、利尻島国保中央病院院長、市立根室病院内科医長などを経て2000年10月より現職。

連載の紹介

Dr.西野の「良医となるための道標」
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