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精神分析を考える(2)
OSCEの功罪――「共感」はいつもできるわけじゃない

2015/05/06

 今回も、精神分析的な考え方を紹介して、日々の臨床に活用できる部分を探していきたいと思います。

そもそもの精神分析の設定とは
 まず、注意から入って恐縮なのですが、精神分析は、「資格を持つ精神分析家が、週4日以上、1セッション約45~60分(決まった時間を最初に設定します)、カウチ(寝椅子)にクライアントを寝かせて行う。セラピストはクライアントから見えない状態を保つ。料金の支払いの仕方も厳格に契約時に決める」など、かなり構造化された、枠組みが決まった精神療法です(おそらく他にも規定があると思います)。

 せのびぃは特別な資格を持っていないし、せいぜい10冊くらいの書籍を読み、精神分析家に10回前後教えてもらったことがある程度という「にわかファン」であることを差し引いていただきたいと思います。

 それでも、一般的な医師が学ぶべきことがたくさんあると思うので、紹介を続けます。

「共感」ってすぐにできるもの?
 臨床現場の最前線に立つ医師の多くがOSCE世代になってきたと思います。せのびぃは、OSCEには功罪があると感じています。

 まず、型もなにも教わっていない状態でいきなり臨床に出て面接をするのは非常に難しいので、この点は最大の「功」の一つだと思います。OSCEでロールプレイを行うようになったことで、一定の型が身に付けられることになりました(実際はどうかわかりませんが、そういうことになっています)。医療現場は一種の劇場ですからね。

 ただ私が以前から疑問に思っていたのは、面接で必ず「それはつらかったですね」と言うのはどうなんだろうということです。だって、「つらかったかどうか」なんて、分からないじゃないですか。白々しくお決まりのセリフとして言うよりは、本当に思った時だけ言えばよいのではないかと思っていました。

 その疑問に対して、精神分析家の藤山直樹氏は、著書『精神分析という営み』の中で「共感」しないほうがよいこともある、と述べています。

 共感が意図的に達成できない以上、治療者は自分が目指そうとしているものとして共感という言葉を用いるのをやめ、回顧的にそれが達成されたかどうかを吟味するときにのみ用いることが適切であろう

 精神的に健康な患者の場合、「つらかったですね」と言われると、「あ、先生は分かってくれたんだろうか?」と思ってくれますが、精神的に不健康な患者の場合、逆に「分かりもしないのに分かったようなことを言うな!」となることもあるでしょう。

 ですから、なまじ「共感」することで、患者を激昂させる可能性が増えたかもしれない、というのは、「罪」の一つかもしれません。あるいは、共感できもしないのに、共感できていると勘違いする医者を増やしてしまった、というのが本当の「罪」なのかもしれませんが。

 とはいえ、共感的“態度”というのは重要だと思います。聞く耳を持つというのに近いと思いますが、この患者は何に悩んでいるのか、主訴と全く関係ない、医師にとって興味がある病気ばかりを探しても、本人の満足感は得られません。救急外来でも、この見極めをしながら、うまく「演じる」必要があると思います。

著者プロフィール

毎日せのびぃ●市中病院での初期研修後、出身大学病院を経て、再度初期研修病院に戻った精神科医の卵。外見や語り口は穏やかで気さくな好青年。だが、胸の内には数々の野望が渦巻いている。今はそれらを封印し、高みを目指して修行に励む日々。

連載の紹介

日々是たぶん好日ナリ
毎日せのびぃ”が臨床の狭間で繰り出すつぶやきログ。生活の大部分を占める医療ネタのほか、将来のこと、趣味のこと、世間話など、フリーハンドで書いていきます。

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