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必要に迫られてがむしゃらに勉強
神経を診るのは1年目の自分だけ!
神津内科クリニック(東京都世田谷区)院長 神津 仁

神津 仁先生
Hitoshi Kozu
神津内科クリニック(東京都世田谷区)院長●1977年日本大学卒。日本大学神経学教室、日本大学板橋病院神経内科を経て、米ハーネマン大学、ルイジアナ州立大学に留学。帰国後、佐々木病院(横浜市鶴見区)内科部長などを経て開業。

 中高生の頃は文系で、哲学が好きでした。人間の脳や精神、いかに生きるかといったことに興味があり、医師になるからにはそういった分野に進みたいと思っていました。医学部では低学年の頃から解剖学教室に入り浸り、神経解剖学に親しみました。

 部活は医学部ヨット部に入部。4年次にはキャプテンになり、当時から強豪の体育会ヨット部と同じトレーニングを取り入れました。合宿で新入生が夜逃げするほどきつかったのですが、これをこなしたおかげか、2人乗りの競技ヨット(スナイプ級)で東日本医科学生総合体育大会(東医体)の個人優勝を遂げ、団体でも準優勝できました。

 卒業後は日本大学板橋病院の第一内科に入局。神経班に入りましたが、直後にトップの先生が海外に派遣され、神経を診られるのは医師1年目の私だけという状況に。神経専門外来も私が診ることになったし、院内でも神経を診られる人があまりいなかったので、あちこちからお声が掛かるようになりました。

 スキルアップの使命感に駆られた私は、常に3、4冊の分厚い教科書を持参し、患者と交互に見ながら必死で診察しました。この時期は大変でしたが、多くのものを吸収できました。

 3年目になる頃、病院に神経内科が創設され、合流しました。5年目くらいから7年ほど神経内科医長を務めた後、昔から憧れていた米国留学を決めました。ペンシルベニア大学で出会った徳島大学の梶先生とは、今も家族ぐるみで交流しています。米国の文化に触れる日々は楽しく、もう少し長く米国で研究をしていたかったのですが、結局2年半で人手が足りなくなった病院に呼び戻されてしまいました。

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