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高知の研修環境の改善に尽力
研修医激減の医療情勢に奮起

2014/05/21

石井 洋介
Yosuke Ishii
横浜市立市民病院IBD科・外科●2010年高知大卒。近森病院での初期研修、横浜横浜市立市民病院での後期研修を経て現職。高知県の初期研修医で構成された「コーチレジ」を立ち上げる。現在は、共にコーチレジを立ち上げた伴正海氏が代表を務める女性医師のキャリアデザインを考える「Joy×full」に参画。高知医療再生機構 企画戦略担当特任医師としても活動している。

 外科医を目指そうと思ったきっかけは、高校1年生のときに潰瘍性大腸炎にかかり、一生人工肛門になる寸前までいったことです。横浜市立市民病院でJパウチという手法の手術を受け、元気な体にしてもらいました。

 ただ、入院していた時期に学校に行けなかったことなどからグレてしまった時期があり、高校3年間はほとんど通学しませんでした。当然、初めてセンター試験を受けた頃は偏差値30にも届かない成績。そこから死に物狂いで勉強し、2年の浪人生活を経て高知大に滑り込みました。

 大学では体力をつけるためにラグビー部に入部。当時は体重42kgで、あだ名は「モヤシ」という私でしたが、卒業時には60kgになりました。他にも、先輩が活動していたダンス部の発表会で司会・映像制作をしたり、ビジュアル系バンドを組んだり、果ては趣味が高じて映像制作の会社を興したりと、さまざまなことに挑戦しながら学生生活を謳歌しました。

高知の研修医で一致団結
 5年生の頃は、首都圏の有名病院でスキルを高め、一人前の外科医になるというキャリアプランを描きながら勉強に励みました。しかし、初期研修先に選んだのは県内の近森病院(高知県高知市)でした。

 決断した理由の1つは、高知県の医療環境に大きく失望する出来事があったことでした。この出来事の影響は大きく、同級生の8割が高知県外の病院に出る選択をしました。しかし私は激しい憤りと共に地域医療への危機感を抱き、若手医師を大事にしない高知にむしろ残って、医療現場の改善に尽力したいと思ったのです。

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