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「座学より症例で学びたい」 未知の分野への探究心から胎児医療分野へ
亀田総合病院産科部長、総合周産期母子医療センター長 鈴木真

2012/03/21
高島 三幸=フリーライター

Makoto Suzuki
亀田総合病院産科部長、総合周産期母子医療センター長。1988年昭和大学卒業後、昭和大学病院産婦人科入局。99年ハワイ大学留学。04年亀田総合病院産科部長、05年現職

 私は何か特別なきっかけがあって医者を目指したというわけではありません。医者の家に生まれ、兄も自分も医者になるものだと思って育ちました。父は産婦人科の開業医で、私の同級生の弟や妹も大勢取り上げているような、地域に根差した町医者でした。毎日お産があって、母親が患者さんの食事を作り、私もその手伝いをしていました。医者の家ではこれが普通なんだと思っていました。

 小中高と打ち込んだのは陸上です。100メートルの短距離走と高跳び、幅跳びの選手で、インターハイにも出場するほどの成績でした。ただ千葉県はレベルが高くて、生半可な練習ではライバルたちに太刀打ちできないんです。陸上にのめり込めば、当然成績も落ちてきます(笑)。

 あまりの成績に親父から「部活なんかやっている場合じゃない」とたしなめられ、「いや、俺は陸上やっていれば医者にならなくてもいい」と言い返したところ、父の逆鱗に触れて部活停止を言い渡されてしまいました。顧問の先生がとりなしてくれて、なんとか2カ月後に復帰し、高校3年のインターハイの県大会では、走り幅跳びで2位になり、全国大会に出場しました。

 陸上競技に没頭していたこともあり、「医者になるならスポーツ医学をやりたい」と、順天堂大学の医学部を受験しました。無事現役合格したんですが、そのとき浪人していた兄がまだどこにも受かっておらず、父に「2人とも私大に行かせるわけにはいかないから、お前は国立を狙え」と言われて、私も浪人することになったんです。でも現役で受かっていたこともあって、気が緩んでしまって。結局は国立大学には進学できませんでした。

面白くなったのは臨床に出てから
 大学の授業は私にとってやや退屈なものでした。患者さんに接することもなく、教科書で基礎医学を学んでもなかなか興味は湧いてこない。発生学で「心臓や脳の分化は何週ではこうで」と言われてもピンとこないんです。臨床をやって、お腹の中の赤ちゃんの奇形を診断するようになってから、「これは何週目頃に何らかの影響を受けて起こったのだろう」という風に具体的にイメージできるようになりました。医学教育にも、座学だけでなく学生が興味を持つような工夫がもう少し必要ですね。

 最近の私は、母体搬送システムで、受け入れ困難な患者の搬送先を調整するコーディネーター制度や、ドクターヘリを導入する活動などに携わっていますが、学生時代はこのような活動に積極的ではありませんでした。学生運動も終わり、政治にも興味がない無関心な世代でもありました。陸上だけは続けていて、週に3回、授業が終わった後、17時過ぎから東京・千駄ヶ谷のグランドに行って2時間くらいみんなで練習していました。全日本医歯薬大会で優勝もしましたね。

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