Cadetto.jpのロゴ画像

母の死から始まった家庭医への道
帝京大学医学部地域医療学 助教 井上真智子

2011/06/16
高島 三幸=フリーライター

井上真智子
Machiko Inoue
帝京大学医学部地域医療学 助教●1997年京都大学卒。大手前病院産婦人科などを経て、北海道家庭医療学センターで研修。2002年から東京ほくと医療生協・北足立生協診療所勤務、05年同所長。09年東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻修了。11年1月から現職。

 私の祖父は町医者をしていて、子どものころ、祖母が調剤をする横で薬袋を折るのを手伝った記憶があります。医療がそんな身近な存在だったことは、医療者を目指す理由の一つになったと思います。

 もう一つ忘れられない思い出は、小学生のころ、教会で岩村昇先生についてのお話を聞いたことです。岩村先生は「日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)」という団体からネパールに派遣され、1962年から18年間にわたりネパールのへき地で医療奉仕の活動をされました。その活動の様子や、世界各地で十分な医療が受けられない状況があることなどを聞いて、ますます医師という職業に魅力を感じました。高校で進路を決めるときには、国際的に貢献できる医師になりたいから医学部を受験する、と意思を固めていました。

 大学は京都大学に進みました。実家が兵庫県の尼崎だったので、遠すぎず、一人暮らしができる距離にあり、何となく京都へのあこがれもあったので。でも、大学生活はあまり楽しめませんでしたね。まず、100人のクラスで女子が7人という、男子校のような雰囲気になじめませんでした。中学、高校と女子校で、女の子と一緒にいるのが楽しかったので、カルチャーショック(笑)みたいな感じで。当時は、生物医学的な勉強にあまり興味が持てなかったということもあります。

 部活は、後に母が病気になったこともあって、2年で辞めました。医師を目指したそもそもの動機に、国際的に貢献したいという思いがありましたから、大学、学部、サークルという限られた枠の中にいるよりも、広く社会を見ることの必要性を感じたことも理由です。キリスト教会に行って、子供からお年寄りまで、地域に住む色々な人たちと触れ合う時間を大切にしました。

この連載のバックナンバー

この記事を読んでいる人におすすめ