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進路を決めるその背景に町医者の父親の背中があった
松村医院院長 松村真司

2010/09/09
高島 三幸=フリーライター

松村真司
Shinji Matsumura
松村医院院長●1967年東京都生まれ。91年北海道大学医学部卒業後、東京慈恵会医科大学での研修を経て、国立東京第二病院総合診療科勤務。その後、東京大学大学院内科学専攻博士課程、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)総合内科客員研究員としてプライマリ・ケア領域の臨床研究に従事。UCLA公衆衛生大学院ヘルスサービス学科卒業。帰国後、東京大学医学教育国際協力研究センターを経て、2001年より松村医院2代目院長。日本プライマリ・ケア連合学会認定指導医として後進の教育にあたる。Webサイトはhttp://www.matsumura-iin.com/index.html

 僕がテレビドラマ『北の国から』の壮大な景色に憧れて、北海道大学医学部に入学し学生時代を過ごしたのはバブル絶頂期。"ワンレンボディコン"という言葉が流行り、トレンディドラマが全盛のころでした。だからというわけでもないんですが、"ナンパ"な日々を送っていました。

 例えば、大学の近くにある女子大の門の前での「門立ち」。門の前に立って合コンの約束をとりつけるのです。今から思えばかなり怪しい人たちです。いつも友達と女子大の門の前に立っているから、いつしか仲間内からは「運慶・快慶」なんて呼ばれ…。バカですねぇ(笑) でも、あんなバカなことは学生時代にしかできませんからね。今のまじめな学生さんと比べると恥ずかしいですけれど。とても楽しかったです。

 もちろん合コンもたくさんやりました。でも、何度も繰り返しているうちに、いつしか「合コン」本来の目的を忘れて、その場を盛り上げることに自分たちの行動が変化していきました。合コンでは、対人関係やコミュニケーション能力が磨かれました。それはいまの診療に、とても役に立っていると思います(笑) 合コンの原資を稼ぐために、アルバイトもいろいろなことをしました。引っ越し、工事現場、デパート、もちろん家庭教師。これらの社会経験も、今の診療にとても役に立っています。

先端医療ばかりの大学はおもしろくなかった

 医学部を目指した理由は単純、親父が町医者をやっていたからです。「いずれは家を継ぐことになる」という弱い気持ちで医学部に入学したんです。親父はよくある地域のかかりつけ医。私が通っていた小学校のクラスにはうちの患者さんが何人もいました。どこにでもある普通の開業医です。

 昨今注目を集めている、「プライマリ・ケア」とか「家庭医療」で言われている内容も、うちでは当たり前に行われていました。それに加えて、親父はプライマリ・ケアが好きだったみたいで、いろいろな場に出ていっていました。自分が目指す医師像なんて考えたこともなかったですし、特に強制もされませんでした。だから、といっては変ですが、かえって自分が生まれ育った医院を、漠然とどこかで意識していたような気がします。

 大学での先端医療中心の講義や実習には、いつも違和感を覚えていました。たとえば、頭痛の講義では「CTは必須」「CTのない診療なんてあり得ない」って感じでした。けれど、松村医院にはCTなんてない。じゃあ、どうするの? といっても答えがない。また、松村医院にやってくる患者は風邪がほとんどなのに、大学では風邪の講義は全くといっていいほどなかった。夏休みとかお正月に帰省して親父の書斎に並んでいる本を眺めてみると、並んでいるのはプライマリ・ケアに関する雑誌や書籍がほとんどで、大学の図書館にある本とは全く系統が違った本が並んでいたのを覚えています。

 親父が日本プライマリ・ケア連合学会の前身、「実地医家のための会」の例会が北海道であった際、懇親会に僕を連れていってくれたことがありました。当時親父はその会の副代表をしていましたし、北海道で暮らす息子の偵察にくる目的もあったようです。貧乏学生だった僕は、ただ飯を目当てに駆けつけました(笑)

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