
食事の後に食器を片付けるPellegrini教授。政治・経済から歴史・文化、スポーツに至るまで話題豊富な教養人だ。私は手術の腕のみならず、一人の人間としてとても尊敬している。
唐突な質問だが、あなたはボス(教授、部長など)と毎日、話をしているだろうか。
恐らく、多くの若手医師の答えは「No」だろう。質問されて、改めて自身を振り返ると、「あれ?そういえば、最後に教授と話をしたのはいつだっけ?」と記憶をたどらなければならない人も少なくないだろう。「教授と話をするなんて、恐れ多くて…」「教授が多忙で、なかなか話す機会がない」「たいてい教授と話をするのは良くない知らせのときなので、できるだけ話をしたくない」――そんな言い訳が聞こえてきそうだ。
毎日、教授と会話をする生活
私がアメリカ留学中、勤務していた病院の心臓外科医は、ボスであるPellegrini教授と私の2人だけだった。年間450例ほどの手術を行っていたため、ほとんど1日中、手術室で一緒に過ごしていた。
働き始めた当初は、「教授と会話するなんて、恐れ多くて…」という日本人的感覚に加え、つたない英語で話すことも不安だった。加えて、手術室での指導は本当に厳しく、いつも「Pay attention in details!」と叱られていたので、ボスと会話を楽しむ余裕など全くなかったように記憶している。しかし、半年もして、手術に慣れてくると、症例に関する会話はもちろんのこと、色々な話をするようになった。
留学の最後の半年余りは、家族を先に日本に帰国させたため、一人暮らしをした。独身時代のような気ままな暮らしではあったが、男ヤモメの哀愁が漂っていたせいか、ボスが毎週のように「ウチに飯を食いに来い」と誘ってくれた。食卓を囲み、ワイン片手に話をすると、病院での会話よりも、さらに会話がはずんだ。ボスは話題に事欠かず、歴史、文化、経済、政治、スポーツと、私がちょっと振ると、話が止めどなく続くのである。「本当の教養人というのは、こういう人をいうんだろうな」と感服したものだ。
食器洗いをし、親の介護をする教授
食事が済むと、ボスは、やおら立ち上がり、食器の片付けを始める。食器を軽く水洗いして、食洗器に入れるのだ。こんな光景は、日本の教授には、なかなか見られないだろうと思い、しっかり写真に収めてきた(写真)。「食事の後、食器を自分で洗う教授は、日本中探してもなかなかいないですよ」と言うと、「うちのワイフも働いているんだから、当たり前さ」と全く意に介さない様子だった。ちなみは、奥さんは麻酔科医で、時折、夫婦で同じ患者を担当することもある。