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仕事にまい進する日本人と、最高に明るく遊びまくる米国人
癌宣告後に見る日米の文化の差『生きる』vs『最高の人生の見つけ方』

2015/09/14
冨田和巳(こども心身医療研究所所長)

 病気を扱った映画は数限りなくある。観客の持つ「他者への共感」を刺激し、映画としての少々のつたなさをカバーしてくれるから、昔は映画の題材に困れば「子ども・犬・病気を出せばよい」と言われていた。しかし、黒澤明の『生きる』(1952[昭和27]年)は別格の名画である。彼の最高傑作、否、世界の映画史の中でも必ず3本の指に入るであろう『七人の侍』(1954年)の前に撮った「意欲や勢いに満ち溢れていた円熟期」の作品。

 『生きる』では、市役所の一課長の志村喬が、胃癌の宣告を受けたことで、それまでの「遅刻せず、休まず、仕事せず」の役人的生活は「生きていなかった」と悟る。それからは住民の小さな希望に真剣に取り組み、死を宣告された時に「生きる」証を残そうと試みる。そして雪の降る夜、完成した下町の小さな公園でブランコをこぎながら、時代遅れだが大好きな流行歌「ゴンドラの唄」をしみじみ歌い、満足して亡くなっていく。この場面が有名で、封切当時、小学5年生だった私でも、その場面と歌に感動した記憶がある。

音楽にこだわる黒澤監督の名作『生きる』
 小学生にも分かる内容であったにしても、名作と呼ばれるものは、あらゆる年齢にそれなりに感動を与える。今回、改めて見直すと、それ以前にキャバレーで場違いに志村が歌った時は、「ゴンドラの唄」を二番まで伴奏を付けてたっぷり歌わせたのに対し、最後の「雪の場面」ではあっさりと一番だけ。しかも歌と別の旋律のBGM(作曲は早坂文雄)が比較的明るく流れていく中で志村の歌声を重ねるなど、実に巧みな音楽設計がされている。

 黒澤は『野良犬』(1949[昭和24]年)で、犯人と刑事の緊張高まる決闘場面に、遠くから聞こえるピアノの練習音や、小学生が歌う「蝶々」の歌など、場面とまったく正反対ののどかな音を対位的に使って効果を上げた。このように、音楽にも凝る監督である。本作でも、志村がかつての部下である若い女性事務員(小田切みき)に、喫茶店で自分の癌を告白したいが言えない、という最も重要な場面で、誰もが耳に覚えのある軽快な「おもちゃの兵隊の観兵式」のメロディー(『キユーピー3分クッキング』でおなじみ)を流す。その後、自分が成すべきことがあると志村が思い付いた時には、喫茶店で誕生祝いをしている女学生の集団から「happy birthday to you」の合唱が流れる。画面手前の左右に志村と小田切の二人を大きく配置し、真ん中に華やいだ女学生の群を遠景で映すなど、若き黒澤の意欲的な技巧があちこちに光っている。

 黒澤は音楽にうるさい監督で、既成の名曲を作曲家に聞かせ、「この映画の音楽はこの感じで」と言うらしい。この映画では、想像をたくましくすれば、「ゴンドラの唄」に触発され黒澤が筋を考えたのかもしれない。山田洋次が米国のフォークソングから『幸福の黄色いハンカチ』(1977[昭和52]年)を撮ったように。

 主役の志村の演技は少々悲壮感丸出しの大写しが多く、全体にも細部にも「おかしい」ところは散見されるものの、総合的に見ると、先に指摘したように種々の技法が使われた傑作である。邦画では珍しい父子関係がもう一つの主題になっている。役所仕事に関わる問題もいくつか描かれ、制作当時の役所の描写は黒澤らしく実に見事。癌で戸惑い悩む前半の志村の姿は時系列で描き、彼が悟りの境地に達した後半は一挙に葬式の場面になり、会葬者の回想で彼の姿を描いていく手法も巧い構成である。このような技巧の数々を否定的にみる評もあるが、巧さは卓越しており、この勢いが『七人の侍』に繋がっていく。

著者プロフィール

冨田和巳氏(こども心身医療研究所所長/大阪総合保育大学児童保育学部教授)●とみたかずみ氏。1967年和歌山県立医大卒。小学生の頃から映画を観つづけ、映画鑑賞が最大の趣味。『小児心身医学の臨床』(診断と治療社)、『小児心療内科読本』(医学書院)などでも映画を扱ったコラムを執筆した。

連載の紹介

冨田和巳の「映画で考える医療と社会」
今や、DVDや映画専用チャンネルなど、映画は自宅で簡単に鑑賞できる時代です。これまで映画館に行く時間がとれなかった映画好きの医師に向けて、医療・医師を中心とした作品を紹介します。映画評論家風のコメントではなく、臨床医の立場から、映画を通して見た医療と社会について意見/異見を綴ります。

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