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一流スタッフが作り上げた恐怖・怪奇映画の金字塔
顔の皮膚移植術の強烈な描写と詩的映像の傑作『顔のない眼』(1960年)

2015/02/12
冨田和巳

 前回同様、個人的思いを先に少し述べさせていただく。私が1年の浪人生活を経て医科大学に合格した昭和36(1961)年の春、前年秋に封切られた本作『顔のない眼』を二番館(当時は封切後、数カ月してから2本立てで上映する映画館が多くあった)で見た。「これから医師になるのだ!」という高揚した思いが加わり、フランス製の恐怖(最近はhorrorと横文字で言う)映画にもかかわらず感動し、忘れられない映画になった。

ブルーレイで復活した素晴らしい白黒映像と音楽
 本作は、一流スタッフが「皮膚移植」を主題にして撮ったもので、特に黒白の映像の美しさと音楽が素晴らしかった。監督のジョルジュ・フランジュは日本では無名だったが、音楽は当時の仏・英・米国の大作、名作の多くに登場したモーリス・ジャールで、主演は多くの名作で主役も脇役もやったピエール・ブラッスールの外科医というフランス勢。さらにこの医師の秘書になるのはイタリアの誇る国際女優アリダ・ヴァリで、この陣容をみても、単なる恐怖を煽るキワモノではない!と感じさせる。

 しかし、お茶の間向きではないのでテレビ放映はなく、その後見る機会もなかった。後にDVDで発売されたらしいが、夜の場面の多さと、白黒画面の微妙さを再現できないだろうと思って見なかった。最近ブルーレイが販売され、半世紀前の当時の印象を甦らせてくれたので紹介することにした。

 ブルーレイやハイビジョン放映は、本作や有名な『第三の男』(1949年)のように、夜の場面や白黒の微妙な陰影が大切な映画で真価を発揮する。逆に言えば、このような映画は従来の媒体では価値が半減する。

生きたまま若い娘の顔の皮を剥ぐ「移植の名医」
 映画は、移植の名医が交通事故で顔の潰れた自分の娘を治そうと、娘を死んだことにして姿形の似た若い女性を誘拐し、「法律などくそくらえ」とばかりに、生きたまま顔の皮を剥ぐ「とんでもない計画」を企てる筋。ブラック・ジャック顔負けの話である。映画は若い女性の誘拐から手術場面、その後の破綻が描かれる。仮面を着けた中に見える哀愁を帯びた娘の目と、整形後の美しいが物憂げな顔が、何とも言えないもの悲しさを強調する。

 外科医が、秘書で愛人らしき女性と2人で病院の奥にある大邸宅の地下室で麻酔科医もなしで手術するのに始まり、移植による抗原抗体反応を独自の技法で押えると本人が講演で語っていた装置もないなど、医学的には考えられない設定や場面がかなり多い。しかし、一般の観客が見ていく限り、このようなことは気にならない。何しろ生きた人間、それも若い娘の顔の皮を剥いでいく手術場面は、その描写に圧倒され、おかしさに頭を回す余裕がなくなるからである。また、移植研究のために飼っている実験用の多くの犬の吠える声が不安感を煽る。この犬が最後に重要な役割をするなど、映画としてうまい作り方なので、私も当時おかしさに気付かず映画にのめり込んだ。

著者プロフィール

冨田和巳氏(こども心身医療研究所所長/大阪総合保育大学児童保育学部教授)●とみたかずみ氏。1967年和歌山県立医大卒。小学生の頃から映画を観つづけ、映画鑑賞が最大の趣味。『小児心身医学の臨床』(診断と治療社)、『小児心療内科読本』(医学書院)などでも映画を扱ったコラムを執筆した。

連載の紹介

冨田和巳の「映画で考える医療と社会」
今や、DVDや映画専用チャンネルなど、映画は自宅で簡単に鑑賞できる時代です。これまで映画館に行く時間がとれなかった映画好きの医師に向けて、医療・医師を中心とした作品を紹介します。映画評論家風のコメントではなく、臨床医の立場から、映画を通して見た医療と社会について意見/異見を綴ります。

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