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親愛なる「偽」医者へ
偽医師による医療問題を真面目に提起『ディア・ドクター』(2009年)

2014/03/13

 よくできた映画であるが、題名のカタカナは気に入らない。カタカナ大好き欧米かぶれの日本人は昔からいたが、この数十年は急増した。最近は少し下火になったが、髪まで金髪茶髪にしたがり、洋画の題名は原題そのままのカタカナ表記がほとんどになってしまった結果、英語の苦手な私には意味の分からないものが多くなった。洋画配給会社の宣伝部員が「意味の分からない題名の方がはやるんです」と言っているのを聞き、「驚き桃の木、山椒の木!」。

「邦画でも英語を多用」の滑稽さ
 少し古いが『ロード・トゥ・パーディション』(米国、2002年)という題の米国映画があったが私にはさっぱり理解できず、危うくこの傑作を見逃しかけた。直訳すれば『破滅への道』か『地獄への道』になり、内容が推測できると見たくなる。この原題カタカナ化は困ったことだと嘆いていたら、この愚かな風潮はさらに加速し(通常ならココは「エスカレート」と書くのだが、あえて「加速」にした!)、この10年くらいは邦画でもカタカナ題名や、時には横文字やローマ字まで出てきた! ココは日本! 洋画はともかく邦画までカタカナ英語はやめてほしい! 必然性があれば別だが…。そう考えると、本作は『親愛なる先生(医師)』が、「偽」だったから、揶揄してカタカナ英語にしたのか?とも解釈でき、「ならば、私は許そう!」。

 少し話は飛ぶが、平成7年[1995年]公開の『Love letter』という映画は、凝った構成で評価も高かった。しかし題名も表記も全て英語で、日本語は一切ない。主人公が住んでいる神戸から舞台が小樽に移ると「OTARU a northern town, far away from Kobe」と表記されていたのにはズッコケた!ならば「せりふもすべて英語にしろ!」。

偽医者はなぜ失踪したのか
 今回の映画に戻る。開巻、棚田の広がる田園の夜景が写され、ほの暗い灯火が道をふらふら動いていく。どうやら自転車らしい。自転車に乗る男が何やら道端に落ちている物を拾い上げ、それを着るところから白衣と分かる。村人が騒いでいる中へやってきた彼は、どこで拾ったかと聞かれたり、なじられたりしている様子から、精神遅滞の男らしい。ここまできて、どうやら村民総出で失踪した医師を探しているという状況が分かる始まりは、実に巧い!さすが、『ゆれる』(平成18年[2006年])で一躍注目された30歳代の若い女性監督、西川美和の作品だ。

 本作は現代医療が抱える問題、過疎地の医療と医師患者関係を、主人公の偽医者を通してミステリー仕立てに描く。映画は大きく2部に分かれる。ほぼ半分までは過疎地に研修に来た今様の「軽い」若手医師の目を通して、村民から絶対的信頼を得ている中年の医師像が描かれていく。老人医療や地域医療の理想的姿に研修医が感動していくのは、ほぼ予想通りの描き方で、ある意味、黒澤明の代表作『赤ひげ』(昭和40年[1965年])に通じる。

著者プロフィール

冨田和巳氏(こども心身医療研究所所長/大阪総合保育大学児童保育学部教授)●とみたかずみ氏。1967年和歌山県立医大卒。小学生の頃から映画を観つづけ、映画鑑賞が最大の趣味。『小児心身医学の臨床』(診断と治療社)、『小児心療内科読本』(医学書院)などでも映画を扱ったコラムを執筆した。

連載の紹介

冨田和巳の「映画で考える医療と社会」
今や、DVDや映画専用チャンネルなど、映画は自宅で簡単に鑑賞できる時代です。これまで映画館に行く時間がとれなかった映画好きの医師に向けて、医療・医師を中心とした作品を紹介します。映画評論家風のコメントではなく、臨床医の立場から、映画を通して見た医療と社会について意見/異見を綴ります。

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