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実在の人物を基に勧善懲悪を描いた西部劇の世界
名保安官の私闘に医師が助太刀『荒野の決闘』(1946年)

2013/12/13

 映画に最も多く登場した医師(歯科医)といえば、西部劇でおなじみのドク・ホリディであろう。彼は名保安官といわれたワイアット・アープの友人として、アープを扱った映画には必ず出てくる。

結核を患った大酒飲みの歯科医崩れ
 名保安官アープは実在の人物で、敗戦後間もなく公開されたジョン・フォード監督の傑作『荒野の決闘』(1946年)で有名になった。フォードは米国ロサンゼルスで晩年を過ごしたアープと親交があった。アープへの思い入れがあったためか、彼のほらが効いたのか、フォード監督はアープを“物静かで内に秘めた正義感、兄弟思い、女性に礼儀正しい紳士”に描いた。それは、演ずるヘンリー・フォンダにぴったりの像であった。

 フォンダはフォード一家と呼ばれる俳優の1人で、フォード以外の監督作品でも、多くの場合“善良で正義感のある、男も惚れる理想の米国人”を演じている。しかし現実の彼は正反対の人物らしく、娘(ジェーン・フォンダ)からも、関わりのあったその他の人々からも嫌われたという。

 今回の主役はアープではなく、ドク・ホリディだ。ちなみに「ドク」とは「Doctor」という意味。『荒野の決闘』では医師だが、その後の映画では歯科医で、こちらが事実だ。ホリディは東部の名門に生まれたが、結核を患ったために気候のよい西部に転地しようと歯科医を辞め、その後、大酒呑みの賭博師になった。これが、映画で描かれた時代である。この頃にアープと出会って奇妙な友情が芽生える。『荒野の決闘』は、アープの正義の戦いとして描かれるが、実際には私闘であり、ホリディはこれに助太刀する。アープを名保安官として描く一方で、身を持ち崩す酒飲みのホリディは、彼の引き立て役として恰好の役割を担うことになった。

 フォードと同じく西部劇の神様と言われたハワード・ホークス監督の最大傑作『リオ・ブラボー』(1959年)は、西部劇では素人のフレッド・シンネマン監督が撮った『真昼の決闘』(1952年)の評判に腹を立て、否定するため撮った作品である。ただし、有能な保安官と大酒飲みのコンビが大活躍するという『リオ・ブラボー』の設定は、アープとホリディからヒントを得たと私は考える。

多くの俳優が演じた「ドク・ホリディ」
 さて、『荒野の決闘』では、この歯科医崩れのホリディを、ビクター・マチュアが演じることとなった。しかし彼は『サムソンとデリラ』(1952年)のような古代史劇がよく似合う俳優で、結核病みの医師崩れ役は、どう考えてもミスキャストだった。これはあまり指摘されないが、私は本作の価値を下げたと思っている。
『荒野の決闘』とほぼ同じ状況を浪花節的に描いたのが、これも西部劇の神様と言われたジョン・スタージェス監督の『OK牧場の決闘』(1957年)だった。フランキー・レインが歌う主題歌に乗って、活劇的面白さを追求した。ここではホリディを、癖のある役が得意なカーク・ダグラスが演じた。結核を病んでいるようには見えなかったものの、適役であった。アープはバート・ランカスターが演じた。共に主役級の俳優ゆえ、ほぼ互角に扱われていた。

 スタージェス監督は10年後、決闘後の二人を描く。アープとホリディが、執拗に生き残った敵を追い求めた私闘的な面を強調し、最後は結核療養所に入ったホリディをアープが見舞う場面として、余韻ある終わらせ方をした。題名も『墓石と決闘』で、監督のある種のこだわりを感じた。あまり話題にならなかったが、味のある映画になっていた。この時、ホリディは渋い脇役専門のジェイソン・ ロバーズが演じた。それから4年後に彼を主役にした『ドク・ホリディ』が、あまり有名でない監督・俳優で公開されたが話題にならず、これは私も未見である。

著者プロフィール

冨田和巳氏(こども心身医療研究所所長/大阪総合保育大学児童保育学部教授)●とみたかずみ氏。1967年和歌山県立医大卒。小学生の頃から映画を観つづけ、映画鑑賞が最大の趣味。『小児心身医学の臨床』(診断と治療社)、『小児心療内科読本』(医学書院)などでも映画を扱ったコラムを執筆した。

連載の紹介

冨田和巳の「映画で考える医療と社会」
今や、DVDや映画専用チャンネルなど、映画は自宅で簡単に鑑賞できる時代です。これまで映画館に行く時間がとれなかった映画好きの医師に向けて、医療・医師を中心とした作品を紹介します。映画評論家風のコメントではなく、臨床医の立場から、映画を通して見た医療と社会について意見/異見を綴ります。

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