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“学校ごっこ”みたいな医学部教育

2010/09/03

 最近、医学部の留年生が多く、「今の医学教育に問題があるのでは?」といった声をしばしば耳にするようになりました。確かに、僕自身、ちょっとそんな気はしています。今回は、自分の学生時代を振り返りながら、医学部教育に関する話をしてみたいと思います。

 僕は、1980年代の後半、金沢大学で学生生活を送りました。最初の2年間は“教養課程で休養?”って感じで、まずは部活、そして部活、そんでもって部活!部活優先の生活は、基本的には6年生の大会まで変わりません。その他の時間のほとんどは、友達作り、バイト勤務、自動車免許取得などで占められ、「あっ、そっか、オレって医学部生だったんだ」って実感するような授業は、2年の後期から少しずつ始まります。

 3年目になると、医学部キャンパスに移り医学部1年、通称“学一”という呼び名をいただき、まずは、怒涛の解剖実習に投げ込まれます。名物教授だった山田到知(むねさと)先生(イルカの珍種「ユメゴンドウ」の発見者です!)の解剖実習では、約半年間かけて学生4人でご遺体一体を勉強させていただきました。山田先生の授業は厳しかった…。

 毎日毎日解剖遺体との対面で、授業がその日のうちに終わることがないほど。ホルマリンのにおいがそれこそ体に染みついていた半年で、ご遺体が夢に出てくることもありました。当時、僕の生活において、最も長い時間を一緒に過ごしていたのが、このご遺体です。まさに解剖漬けの毎日で、トータルの授業時間は、今の2倍くらいあったのではないでしょうか?学生全員が所見発表という初めての医学レポート発表を経験させられ、最終試験は4人そろっての口頭試問。知識と共にチームワークが不可欠の、ものすごい試験でした。

 “学三”になってしばらくすると、臨床実習が始まります。この実習は“学四”の11月末まで続き、その後約2カ月間の卒業試験を経て、国家試験という流れでした。実習が6年の11月まで組まれているというのは、当時としても、かなり長期だったと思います。

 僕らが経験した実習は、1診療科に1カ月程度。現在の初期研修医と大差ない内容だったかもしれません。採血や手術参加、症例プレゼンやjournal clubでの論文発表、中には虫垂炎の手術を任された同級生もいました。かなり濃密な内容で、臨床実習というよりは“臨床体験”。その間、当該診療科の先生方とは、共同生活を送っているような感じでした。

 また、臨床講義に関しては、学三・学四の2学年合同実施の形で、各授業では、当該診療科の学三ポリクリ学生達が一番前に座らされ、質問攻めに遭います。学三はビクビクしながら、学四はおびえる学三をニヤニヤ見ながら聴いているという、すばらしい授業でした。その後、僕が入局した第一外科の岩喬教授などは、講義で毎回、患者さん、時には赤ん坊まで病棟から連れて来て、「オイ、手取屋!診察してみろ!どうだ、所見を言ってみろ!」って可愛がって(?)くれました。岩教授もホント厳しかったなぁ…。

連載の紹介

昭和大元教授「手取屋岳夫の独り言」
「最近の日本の医療って、ちょっとおかしくない?」…と愚痴は出るものの、医師という仕事はやっぱり素晴らしい!一外科医として、大学教授として、教育者として感じた喜び・憤り・疑問などを、時に熱く、時には軽〜く、語ります。

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