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米国の信じられない「格差」の話―雑誌から映画から

2008/06/13

 地元医師会の機関誌をながめていて、あるドクターの米国受療譚を見つけました。学会で米国に出かけたこの先生、急にめまいと発汗を感じて床に倒れ込む羽目になり、向こうのERにかかったそうです。診療内容は、血液検査、ECG(心電図)程度と、5時間くらいのベッド上経過観察だったそうですが、その医療費の話です。

 通常、向こうの医療費は高く、たかが虫垂炎の手術でも、日本では保険診療のトータルで30万円ほど、3割の自己負担でせいぜい10万円余りのものが、米国では100万円以上は請求されるといいます。この先生もかなりお高い請求が来ると思いきや、学会にやってきたドクターという信用が効いたのか、帰国後に請求書を送るということで済み、後にやってきたのが330ドル(3万円余)の請求書だったといいます。

 この先生、この請求書を見て、以前から海外旅行時の受診をサポートするクレジットカードに付加された医療保険のことを思い出されたとか。そちらに支払いを依頼したところ、何とこれが2011ドル(20万円余)に跳ね上がったとの話。この違い、何が何だかよくわからないというミステリーです。

 私は、ドメスティックおじさんで、「米国では」と出羽の守をやる経験をまったく欠いていますが、留学経験をお持ちの皆さん、在米の皆さん、どのように読まれますでしょうか?

 次は、6月号の『文藝春秋』の米国レポートです。格差社会を描いてブレイクしたフリーライターの堤未果さんの「ルポ世界同時貧困 米国 医者さえ転落する」という記事に、ある米国医師の窮状が淡々と描かれています。

 米国ではER診療にのみ応召義務が法規定されているとのことですが、このルポの取材対象である外科医デニスも、当然のことですが病院にかかれない患者がERに運ばれるのを何度も目にしています。そのような患者を診てきたデニスが、いまや妻から「今日、社会保障事務所に行って低所得者用食料配給切符の申請をしてきたわ」と告げられる身になったという話です。

 デニス医師が勤務先のパリセイズ病院に退職願を出したのは、2007年の11月のことです。理由は、医師賠償責任保険の保険料が高騰し、支払い続けることが困難になったことです。

 2001年12月、医賠責分野で全米第2位の「セント・ポール・カンパニー」社が、不採算を理由に撤退します。同社の保険に加入していた4万2千人の医師は別社に加入を余儀なくされます。デニス医師もその一人でしたが、新規契約はとても高騰した保険料で設定され、とても維持できませんでした。

 なんと従前年間5万ドル(約600万円)だった保険料が、新規契約になったとたんに18万ドル(約2千万円)と、跳ね上がり方も半端でありません。そこで突きつけられた究極の選択は、「べらぼうな保険料を払うか、廃業か」です。

 デニス医師の年収は20万ドルでした。可処分所得は、20万ドル引くことの18万ドルで2万ドル(約200万円)です。まさにワーキング・プアです。妻には、「もっといい仕事、たとえば保険のセールスでもやってくれ」とリクエストされますが、決心はつきません。ドロップアウトする同僚も多い中で、デニス医師は歯をくいしばって高額保険料を払い続けます。

 そこに追撃がきます。デニス医師はERに運ばれて、その後に医療費が払えないで病院を追い出されたDM(糖尿病)患者を駐車場で目撃します。助けを求めるその患者の眼差しと妻の眼差しが重なり、デニス医師はその場に座り込みます。それはパニック症候群に陥ったのか、それともうつの入り口だったのか、結局デニスはふさぎ込むようになり、病院を辞めます。再就職を求めるもののうまく行かず、ついに国内で2800万人を超えた食料配給切符受給者の1人になってしまったという物語です。

著者プロフィール

竹中郁夫(もなみ法律事務所)●たけなか いくお氏。医師と弁護士双方の視点から、医療訴訟に取り組む。京大法学部、信州大医学部を卒業。1986年に診療所を開設後、97年に札幌市でもなみ法律事務所を開設。

連載の紹介

竹中郁夫の「時流を読む」
医療のリスクマネジメントを考えるには、医療制度などの変化に加え、その背景にある時代の流れを読むことも重要。医師であり弁護士の竹中氏が、医療問題に関する双方向的な意見交換の場としてブログをつづります。

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