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眠りと鈍感力と遺伝子と…

2007/07/06

 「SAS睡眠時無呼吸症候群;Sleep Apnea Syndrome)」なんぞという疾患概念は、30年近く前に医学生だった者には、やっと最近「専門クリニックが増えたなあ」なんて見え方しかしませんが、一つのブームであることは近所でも睡眠専門外来の広告が目に付くことでよく分かります。

 もちろん、さぼってばかりの落ちこぼれ医学生だった私でも、「ピックウィック症候群」なんて名称は一応知っておりました。 1956年にBurwellらは、日中の強い眠気、心不全、呼吸性アシドーシスを持った肥満の患者について報告しましたが、この患者はチャールズ・ディケンズの小説『ピックウィック・クラブ』に登場する人物に似ていることから、「ピックウィックの症候群」と呼ばれました。その後、いつも日中眠く、赤い顔をして、太っている患者を示す「ピックウィック症候群」という用語は医学界で広く使われるようになり、1970年代中ごろまで多数の症例が「ピックウィック症候群」と報告されましたが、現在では、これは重度のSASのように解されているようです。このような意味では、SASも突然の登場ともいえないのかもしれません。

 先日、分子生物学者であり、かつ睡眠臨床の専門家(不眠外来を持っておられる)でもある粂和彦先生(熊本大学発生医学研究センター准教授)の近著『眠りの悩み相談室』(筑摩新書)を読む機会を得ました。私自身、不眠は常態のようなものですが、それ自体は格別に大きな悩みでもなく、藁をもすがるという気持ちで読んだわけではありません。専門家のコンパクトなご教示を得て、冒頭に書いたようなトレンドウォッチに及んだというのが実際のところです。

 さて、読了して感じたのは、「眠りの悩みというのも一筋縄ではいかないな」というごくごく当たり前の結論でした。眠るというのは、ただ眠るために眠るというものでなく、眠ってはいけないのに眠ってしまう、あるいは眠りたいのにどうしても眠れないなど、睡眠障害というのは、あくまでわれわれの悩ましい状態の一つであるように思われます。そのような眠りと悩みの関係は、粂先生も本書の中でご指摘の通りなのですが、そういう当たり前のことが、なかなかすっと分からなくなっているのが現代の難しさのように思われます。

 私のような「風が吹けば桶屋が儲かる」なんて話の好きな人間が気になるのは、眠りの障害を、本人に、また社会に悩ませるバックグラウンドです。まず挙げられるのは、労働安全、事故防止の視点です。自動車事故、列車事故が起こった際に、運転者がSASと分かったなどという報道を見聞きします。そうなると事故防止、労災防止に「SASチェック強化を!」となります。このような流れが強まると、事故防止、労働安全、労働者の健康管理ということはもちろん、そのような危険の大きい職種でなくとも「眠った間に呼吸が止まったら大変、心臓まで止まったらどうしよう」とご本人、奥様までSAS治療にしっかりと乗り出したりするのは自然な流れです。メタボリックシンドロームなどと同じく、時代のシンドロームと見るべき様相といえるでしょう。

 もちろん、睡眠障害はSASだけではなく、粂先生の症例報告には様々な疾患が出てきます。やはりそこに見えるのは、のんびり眠っていられない現代社会、あるいは眠れなかったり、過剰に眠ってしまう鬱などが目立つ現代社会です。不安社会、格差社会、コンプライアンスばかりいわれながら、いつ背後から、あるいは内部から告発されるかもしれない気の許せない時代、はたまた労働強化ばかりでゆっくりと眠れない社会、いじめや家庭内紛争が珍しくなく安らぎのない時代、本当にゆっくり快く眠れない時代、社会という背景です。

 話は転じて、このような時代を突いてベストセラー化しているのが渡辺淳一氏の『鈍感力』(集英社)です。そんなナイーブでどうする。俺が医学部の大学院生、若手整形外科医のころは、実験、手術、どこでも瞬時に眠って安らいだ。これぞ鈍感力の成果だ。俺だけじゃなく母親を見ろ。子供のうんちさえ、いとおしげに処理できるじゃあないか。鈍感であり得るのは力だ、能力だ。そうおっしゃいます。

著者プロフィール

竹中郁夫(もなみ法律事務所)●たけなか いくお氏。医師と弁護士双方の視点から、医療訴訟に取り組む。京大法学部、信州大医学部を卒業。1986年に診療所を開設後、97年に札幌市でもなみ法律事務所を開設。

連載の紹介

竹中郁夫の「時流を読む」
医療のリスクマネジメントを考えるには、医療制度などの変化に加え、その背景にある時代の流れを読むことも重要。医師であり弁護士の竹中氏が、医療問題に関する双方向的な意見交換の場としてブログをつづります。

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