日経メディカルのロゴ画像

私は尊厳死ができるのだろうか

2007/03/03

 1998年11月、川崎市の病院に重症の喘息発作の状態で入院中の男性患者(当時58歳)の気管内チューブを抜去し、筋弛緩剤を投与し、死に至らしめたとして医師が殺人罪に問われていた裁判の控訴審判決が、2月28日東京高裁で言い渡されました。一審の横浜地裁が下した懲役3年執行猶予5年の有罪判決を、高裁は懲役1年6月執行猶予3年に減刑しました。事件当時の殺人罪の法定刑の下限は懲役3年でしたから、酌量で半分のギリギリまでに減じたということは、高裁は、医師に対して、かなりのシンパシーを持ったことを表しているように思います。

 弁護側は、医師の取った行為は、治療の中止(尊厳死)と主張し、気管内チューブ抜去についての家族の要請の有無や筋弛緩剤の投与態様での事実認定を争点にしていました。高裁判決は筋弛緩剤による死亡という一審の判断は踏襲したものの、家族からの抜管の要請がなかったとすることに合理的疑いが残るとして、量刑的に医師に有利な変更を行っています。

 高裁判決は、抜管そのものの評価について、患者の自己決定権と医師の治療義務の限界を両にらみしながら、いずれのアプローチにしても解釈上の限界があり、尊厳死を許容する立法ないしそれに変わるガイドラインの必要を説いています。確かに、司法は法律を個別の事件に適用して判断する作業ですから、規範を欠く状態では裁判官はハングアップせざるを得ません。この事件当時も、患者の終末期医療についての考え方や正確な余命は不明と認定されていますから、法律どころか、学説的に安楽死や尊厳死の土俵に乗りづらいということになります。今までも、この手の事件で、無罪判決が出ないのは、やはり「法の不在」という部分が大きいように思われます。

 また、高裁判決は、どうにも止まらない苦悶様呼吸に筋弛緩剤を投与した医師の行為の違法性は、これだけを取り上げて違法性が強いと見るべきでなく、抜管と合わせて全体として治療中止行為の違法性を判断すべきことや、余命不明の状態で医師単独で抜管したのは患者軽視と言われてもやむを得ないが、治療中止について法規範も医療倫理も確立されていない状況で、事後的に非難するのも酷であるとしています。

著者プロフィール

竹中郁夫(もなみ法律事務所)●たけなか いくお氏。医師と弁護士双方の視点から、医療訴訟に取り組む。京大法学部、信州大医学部を卒業。1986年に診療所を開設後、97年に札幌市でもなみ法律事務所を開設。

連載の紹介

竹中郁夫の「時流を読む」
医療のリスクマネジメントを考えるには、医療制度などの変化に加え、その背景にある時代の流れを読むことも重要。医師であり弁護士の竹中氏が、医療問題に関する双方向的な意見交換の場としてブログをつづります。

この記事を読んでいる人におすすめ